南相馬で花火を見た日がちょうど新月で旧暦七月一日、そして今日が七月三日、俳諧の方も秋になった。七夕も近い。
芭蕉の時代では二十四節気にあまり関心がなかったのか、立秋の句も少ない。秋の最初はたいてい「秋風」で始まる。そのなかで『続猿蓑』には立秋の句が二句ある。
粟ぬかや庭に片よる今朝の秋 露川
秋たつや中に吹るゝ雲の峯 左次
粟はイネ科エノコログサ属で猫じゃらし(エノコログサ)に近い。痩せ地に強く、昔は広く栽培されていた。
粟糠はweblio日中・中日に、「脱穀した粟のもみがら」とある。
ただ収穫時期は新暦で10月頃なので、立春の頃ではない。どちらかといえば播種の終る頃だ。種蒔きの時に落ちた籾殻だろうか。
いずれにせよ、「庭に片よる」で秋風が吹いたことを現している。秋風と言わずして秋風を詠んだといってもいいだろう。
「秋たつや」の句の「中」は空中のこと。もくもくとした入道雲が空に浮かんで見た目は夏だが、そこを吹く風は秋風だというところで、
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行朝臣
の心となる。
どちらも秋風と言わずして秋風を詠んだという点では共通している。
『続猿蓑』では「立秋」は「七夕」の後になっている。七夕は旧暦七月七日に固定されているのに対し、立秋はその年によって変動したので、旧暦六月になることもあれば、七夕よりあとになることもあった。実際に立秋が七夕の後になった年は元禄九年と元禄十二年。『続猿蓑』が出版されたのは元禄十一年だった。
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