2018年8月15日水曜日

 今日は終戦記念日。日本では一般的にそう呼ばれてきた。
 戦争に負けたのに「記念日」というお目出度い名前がついているが、多くの人の心情としては、戦争が終って良かったという気持ちが普通だったのだろう。
 軍部の支配に対して、結局日本人の多くは仕方なく従っていて、五月雨の長雨の明けるのを待つように、災厄の過ぎ去るのをじっと待ってたのだろう。それが今でも日本の国民性だ。
 他所の国なら、戦って一気にひっくり返そうとするかもしれない。それは輝かしい革命となるかもしれないが、終わりの見えない内戦に突入してゆく例も多々ある。暴力は報復を生み、報復の連鎖が終ることのない戦乱に陥ってゆくことを、日本人は好まなかった。謡曲『摂待』もそういうテーマだった。
 日本は明治維新によって、一部の西洋崇拝者達によって自己植民地化された。支配者は常に日本の文化伝統風習を弾圧して、西洋式に作り変えることを要求してきた。
 彼等は繰り返し西洋列強の恐怖を煽ってきた。やがて日本は西洋列強によって植民地化され、その果てにあるのは民族の消滅だと。あたかも西洋人がみんなレイシストであるかのように、やつらにとって黄色人種を滅亡させることなどなんとも思ってないと言い聞かせてきた。そして日本が生き残るためには、西洋の文明をかったっぱしから取り入れ、西洋に負けないだけの強い軍隊を作り、西洋列強と同等の国力を得るにはアジアの侵略と植民地支配が不可欠だと宣伝してきた。
 正岡子規も、明治三十年正月の『明治二十九年の俳句界』で、

 「日本が世界列國の間に押し出して日本帝國たる者を世界に認められんとするには日清戦争は是非とも必要なりしなり。日清戦争は初めより此目的を以て起りたる者に非れども少くも此大勢は日清戦争の端を開かしむる上に於て暗々裡に之を助けたるや凝ひ無し。」

と書いている。
 彼等は地球規模での天下統一の戦い、一つの世界のための戦いが始まっていると考えたが、ひとたびこういう考えに取り付かれると、最後は日本が世界を支配するところまで突っ走らなくてはならなくなる。
 ほとんどの日本人にとって、それは上のほうの連中が言うことで、本気で世界征服なんて考えてはいないし、今の生活が第一でそのためには隣人とも仲良くしていかなくてはというのは、自然な考え方だった。
 こうして先走ろうとする上の方の人間に対して、一見賛同するふりをしながら建前と本音を使い分けて、多くの人は五月雨の雲の下でじっと耐えるように、今まで通りの生活を続けようとしてきた。そして西洋の要素を取り入れながらも、伝統と上手く融合させた大衆文化を作り上げてきた。
 この耐えて待つというのが日本人の特性で、今でも日本人は耐えている。いくら豊かになったとはいえ長時間労働とパワハラ体質の組織、学校ではほとんど放置されているいじめ、それはしばしばビジュアル系のバンドによって「生き地獄」と唄われる。
 戦争に負けて、一瞬青い空を拝んだ日本人。やれやれやっと終った。でも次に来たのは腹ペコだった。
 今は腹は満たされている。でも軍国主義は終っていない。それは会社という軍隊に引き継がれただけだった。教育も未だに軍隊をモデルにしている。高校野球だってみんな兵隊頭だ。
 世界はグローバル経済を維持し続ける限り、これからも同じ経済を共有する国同士の戦争は起こらないであろう。ただ、日本は中国・北朝鮮という違う経済の国に囲まれている。この二つに較べればロシアがまともに見えるくらいだ。
 そして国内にもそれに同調する人間がたくさんいる。彼等はあたかも日本が再び侵略戦争を起こすかのようなデマを周辺国に広めている。外圧によって日本をそちら側に引き込もうという作戦だ。
 日本の周辺ではまだ冷戦は終っていない。その恐怖を世界の人は理解してほしい。
 いつか本当に戦争の終る日を、今日も日本人は待ち続けている。

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