「文月や」の巻の続き。
初裏に入る。
七句目。
松の木間より続く供やり
夕嵐庭吹払ふ石の塵 右雪
右雪は曾良の『俳諧書留』に佐藤元仙とある。いずれにしてもどういう人かはよくわからない。
曾良の『旅日記』の七月七日のところに、「其夜、佐藤元仙へ招テ俳有テ、宿。」とあり、『俳諧書留』には、
「同所
星今宵師に駒ひいてとどめたし 右雪
色香ばしき初苅の米 曾良
瀑水躍に急ぐ布つぎて 翁」
とある。同所は、その前の「文月や」の巻に「直江津にて」とあるので、同じ直江津でという意味で、六日の興行が佐藤元仙で行われたという意味ではないだろう。文化三年刊の『金蘭集』には表三句の後に「此間十句キレテシレス」とあり、十四句目から三十六句目の挙句までが記されている。
句の方は松に松風の縁から嵐を付け、夕暮れの嵐の景色に展開する。
八句目。
夕嵐庭吹払ふ石の塵
たらい取巻賤が行水 筆
「筆」は主筆。誰かはわからない。
ウィキペディアで「賤民」の所を見ると、
「穢多(えた・かわた)は、死牛馬(「屠殺」は禁止されていた)の皮革加工、履物職人、非人の管理などを主な生業とした。最下層ではないが、脱出の機会がなかった。職業は時代によって差があり、井戸掘りや造園業、湯屋、能役者(主役級)、歌舞伎役者、野鍛冶のように早期に脱賤化に成功した職業もある。」
という一文がある。ここで言う「賤(しづ)」は前句とのつながりで造園業者と見ることもできる。
仕事が終って、体についた泥を洗い流すために、大勢で盥を囲んで行水の順番を待っているのだろう。おそらくあるあるネタで、なかなかいい展開だ。この主筆は只者ではないと見た。
九句目。
たらい取巻賤が行水
思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ 左栗
盥に水を引いている樋に鳥が一羽歩いてゆく。行水に筧という展開。
十句目。
思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ
きぬぎぬの場に起もなをらず 曾良
十句目くらいに恋を仕掛けるのは蕉風確立期では定石か。男が帰って行くというのに起きられず、去っていった後庭を見ると筧に鳥が、となる。
十一句目。
きぬぎぬの場に起もなをらず
数々に恨の品の指つぎて 義年
この人のこともよくわからない。主筆が詠んだので一巡したかと思ったが、思わぬ伏兵がいたか。
「指つぎ」はすぐ次にということ。句は倒置で「恨の品の数々に指つぎて」となる。
前句の「起もなをらず」を「置きもなおらず」と取り成して、中のうまく行かない男の恨みの品を次々と並べたは片付ける気も起きない。急に出てきたわりにはなかなか上手く展開している。
この人は花の定座も詠むので、隠れた主役か。主筆も実はこの人だったりして。
十二句目。
数々に恨の品の指つぎて
鏡に移す我がわらひがほ 芭蕉
「移す」は「映す」であろう。恨みの品を眺めながら、何か吹っ切れたのだろう。「何これ、もう笑っちゃうね。」という感じか。
ここで泣いたりすると、それこそベタ(付き過ぎ)だ。
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