さて昨日は旧暦の七夕ということで、七夕の句を見て行こうかと思ったが、七夕の句はさすがに多い。とりあえず目についたのを拾っていこうと思う。
先ずは芭蕉七部集の一つ、『阿羅野』から。
男くさき羽織を星の手向哉 杏雨
七夕は中国の乞巧奠から来たもので、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「陰暦7月7日の行事。女子が手芸・裁縫などの上達を祈ったもの。もと中国の行事で、日本でも奈良時代、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機女(たなばたつめ)の伝説や祓(はら)えの行事と結びつき、民間にも普及して現在の七夕行事となった。」
とある。
たいていは女が機織の上達を願って小袖を祭壇に手向けたりしたが、時折男も願掛けることがあったのだろう。
等躬撰の『伊達衣』に、
福島にて
たなばたは休め絹織男共 鋤立
の句があるから、機織は必ずしも女の仕事とは限らなかったようだ。
新暦の七夕だと梅雨時で雨に降られることも多いが、月遅れ七夕は雨に降られにくい。だから、本来七夕はこの時期というのは現代人の感覚で、旧暦だと月遅れよりも大分遅くなる年もあり、秋の村雨に降られることもあった。
『伊達衣』に、
名月はいかならん、はかりがたし
七夕は降と思ふが浮世哉 嵐雪
の句がある。同じく『伊達衣』に、
田舎にはかかるまねびを造りて、
七夕の祭りとなしけるに、彼陀阿上
人の、けふしもそそぐ秋のむら雨
と、ありし句の上を思ひて
七夕の麦藁馬や空ただのめ 等躬
の句もある。陀阿上人は他阿上人のことで、時宗を開いた宗祖一遍上人、の跡を継いだ二祖になる。和歌・連歌に秀でていた。「けふしもそそぐ秋のむら雨」は当時は知られていた伝承歌だったのかもしれない。これの上句ということで、
けふしもそそぐ秋のむら雨
七夕の麦藁馬や空ただのめ 等躬
ということになる。付け句だけど一応切れ字も入り、発句になっている。「麦藁馬」は牽牛の乗り物になる麦藁を編んだ馬で、天の川を渡る交通手段にはカササギだけでなく、いろいろ異なった伝承があったようだ。
雨ではないが、乙孝撰の『一幅半』には、
ほし合の空泣くやうに曇けり 涼菟
の句がある。
『猿蓑』の句に、
七夕やあまりいそがばころぶべし 杜若
という句がある。作者の所に「伊賀少年」とある。「俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれ」(『三冊子』)というところか。優雅に乗り物で移動するのではなく走ってゆく所が面白い。これが青春だ。
一方大人はというと、生々しい現実の密会のイメージと重ねようとする。涼菟撰『皮籠摺』より、
五百機の窓に草鞋や二つほし 沾徳
堀梢かけてかよへやあまの川 其角
惟然撰の『二葉集』の超軽みの体となると、
こちとらもひょんな気になる星祭 且流
七夕や娘子達をなぶりけん 重就
ビートきよしじゃないが「よしなさい」。
まあ、他にも七夕の句はいろいろあるが、ここは一つ締めは涼菟撰『皮籠摺』から、
にっこりと宵の日和や天の川 涼菟
御後がよろしいようで。
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