オリンピックの時にサマータイムなんて冗談でしょ。競技も暑さを避けて早い時間にやるなら観戦と通勤の人が重なって大混乱になる。システムエンジニアも大変だ。デスマーチから始まる東京オリンピック。でも、今の野党では止められないだろうな。
それでは「秋ちかき」の巻の続き。
二十五句目。
竹の根をゆく水のさらさら
したしたと京への枇杷を荷つれ 木節
「さらさら」に「したした」と擬音を付ける。一種の掛けてにはか。ただ、「鶯に」の巻の、
につと朝日に迎ふよこ雲
すっぺりと花見の客をしまいけり 去来
の句は却下され、
につと朝日に迎ふよこ雲
青みたる松より花の咲こぼれ 去来
の句に作り直したことが『去来抄』に記されている。こういう擬音の遊びも時と場合による。花呼び出しにはひねらずに素直に応じたほうがいいようだ。
「したした」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
[副]足音を立てないように歩くときのわずかな音を表す。ひたひた。
「跫音(あしおと)を密(ひそ)めて、―と入ると」〈鏡花・日本橋〉
とある。京へと枇杷を荷う人も、竹の根に水が流れているところに差し掛かれば、そろりそろりと注意しながら渡る。
二十六句目。
したしたと京への枇杷を荷つれ
嫁とむすめにわる口をこく 支考
枇杷を荷うのは行商のおばちゃんか。売りに来た時の世間話に嫁や娘の悪口というのはありそうなことだ。
二十七句目。
嫁とむすめにわる口をこく
客は皆さむくてこをる火燵の間 芭蕉
人の悪口も度が過ぎれば、周りにいる人間もどう反応していいかわからず氷りつく。下手に賛同もできないし、かといって咎めるのも角が立つ。聞き流すのが一番いい。
座右之銘
人の短をいふ事なかれ
己が長をとく事なかれ
物言えば唇寒し秋の風 芭蕉
の句もある。
「こく」は今でも「嘘こく」だとか「調子こく」だとか、良いことには用いない。
二十八句目。
客は皆さむくてこをる火燵の間
置わすれたるものさがすなり 木節
みんな寒くて火燵から動かない中、部屋をうろうろするのは置き忘れたものを探しに来た亭主のみか。
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