今日は風が変り、それまでのじとっとした湿った空気でなく、乾いた涼しい風が吹き、久しぶりに富士山がよく見えた。
秋は「目にはさやかに見えねども」というが、こういう日はいつもと光が違って見える。特に夕暮れの明かりが灯り出す頃、その光の鮮やかさに秋が感じられる。
そして夜空には半月が。
そう、今日は旧暦七月七日。ただ、今の日本に旧七夕というのはない。新暦の七夕と月遅れ七夕(八月七日)があるだけだ。
来週は旧暦のお盆だが、正確な意味での旧盆というのはない。一般に旧盆と呼ばれているのは月遅れ盆(八月十五日)だ。
明治5年11月9日太政官布告第337号の「改暦ノ詔書並太陽暦頒布」には、「諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事」とある。これを根拠として、旧暦の行事は禁止され、旧弊として弾圧されるようになった。旧暦と新暦とで季節感が一ヶ月ほどずれるため、新暦で一ヶ月遅らせる「月遅れ」は容認された。
2014年2月に亡くなった親父も、確かその直前の正月にたずねて行ったときだったか、この話をしていた。あたかも遺言のように、この問題は自分に託された形になった。
今日は七夕の句をと思ったが、粟の句の続きがあったので、まずそちらから。
芭蕉の粟の句二句はいずれも七月だったが、この場合は粟の収穫ではなく粟の穂の実る様子なので、今の粟とそれほど変わらない晩(おくて)の粟だったと思われる。
七月やまづ粟の穂に秋の風 許六
575筆まか勢というサイトにあった句なので、出典となる俳書は不明。
秋風に折るちからや粟と稈 土芳
風の名のあるべき物よ粟のうへ 惟然
粟稗に此世の風や玉祭 千川
の句も秋風に粟の穂を詠んでいる。。
八月の初めには既に収穫されていたか。
粟稗と目出度なりぬはつ月よ 半残 「猿蓑」
粟かりて庵のまはりや初月夜 一道 「皮籠摺」
粟稗の粥喰尽す月見かな 諷竹
粟畠の跡にのこるやをみなへし 諷竹
「諷竹」は之道のことで、芭蕉の死後少し後に改名している。
粟と女郎花の縁は、粟飯の黄色い粒が女郎花に似ているところから来ている。
粟の穂の實は數ならぬ女郎花 すて
は蕪村編の『俳諧玉藻集』にあるが、『捨女句集』にはない。
粟に鶉は画題として知られていたからか、粟に鶉を詠んだ句も多い。
粟の穂を見あぐる時や啼鶉 支考 「続猿蓑」
粟の穂のびくに入たるうづら哉 惟然 「有磯海」
粟の穂をこぼしてここら啼鶉 惟然 「ばせをだらひ」
粟切や鶉と成てこつそこそ 専吟 「皮籠摺」
寐所に日のさす粟の鶉哉 浪化
粟刈れば野菊が下に啼鶉 許六
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