今日は急に寒くなって塔ノ岳の山頂付近に雪が積もってた。
家の床の改修工事で日中外に出られなかったから富士山は見なかったが、真っ白になっていたようだ。
今日は旧暦十月一日。冬の始まる日。
あと、鈴呂屋書庫の「このサイトについて」に「そもそも芸術とは」と「歴史の終焉」を追加したのでよろしく。
それでは「夜も明ば」の巻の続き。
三裏、六十五句目。
談義の場へすでに禅尼の
ねがはくはかの西方へ撞木杖 松臼
談義の庭に取っ手のT字になった杖を突いてやって来た禅尼は、西方浄土へ行くことを願う。
六十六句目。
ねがはくはかの西方へ撞木杖
世は山がらの一飛の夢 正友
山雀は籠で飼われて芸を仕込まれる。元禄五年秋の「青くても」の巻十一句目に、
翠簾にみぞるる下賀茂の社家
寒徹す山雀籠の中返り 嵐蘭
の句がある。籠の中の止まり木を撞木杖に見立てて、ここから出て飛び立つことを夢見る。
六十七句目。
世は山がらの一飛の夢
露むすぶ柿ふんどしもわかい時 卜尺
山雀はお腹と首が柿色なので、その形から柿ふんどしと言われていた。延宝六年春の「さぞな都」の巻七十一句目に、
日用をめして夕顔の宿
山がらのかきふんどしに尻からげ 信徳
の句がある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注には「遊治郎が結んだ」とある。
遊治郎(ゆうやらう)はコトバンクjの「精選版 日本国語大辞典「遊冶郎」の解説」に、
「〘名〙 酒色におぼれ道楽にふける男。放蕩者。遊び人。道楽者。
※文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉三「又去年の謹直生は今年の遊冶郎に変じて其謹直の跡をも見ずと雖ども」 〔李白‐采蓮曲〕」
とある。
六十八句目。
露むすぶ柿ふんどしもわかい時
相撲におゐては信濃のたて石 一鉄
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は「長野県。つるし柿が有名」とある。
前句の柿ふんどしを相撲のまわしとして、老いた相撲取が信濃の地で亡くなったとする。
立石はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「立石」の解説」に、
「① 庭などに飾りとしてまっすぐ立てるように置いた石。横石に対していう。
※宇津保(970‐999頃)楼上上「たていしどもは、さまざまにて反橋のこなたかなたにあり」
② 墳墓の標石。道しるべに立ててある石。
※読本・椿説弓張月(1807‐11)続「石碣(タテイシ)地に埋れて、虎豹の臥せるがごとし」
とある。
六十九句目。
相撲におゐては信濃のたて石
風越山爰なる木の根に月落て 松意
長野県飯田市にある風越山は歌枕で、
風越を夕越えくれば郭公
麓の雲の底に鳴くなり
藤原清輔(千載集)
白妙の雪吹き下ろす風越の
峰より出る冬の夜の月
藤原清輔(続後撰集)
などの歌に詠まれている。
相撲は月夜などに行われる。前句の相撲取はかつて風越山で相撲を取っていた。今はこの根っこに月が沈むかのように、そこに立石が立っている。
七十句目。
風越山爰なる木の根に月落て
雲は麓にかよふ斧音 一朝
前句の木の根に麓の木こりの斧の音を付ける。
七十一句目。
雲は麓にかよふ斧音
すは夜盗野寺の門に朝朗 志計
朝朗は「あさぼらけ」とルビがある。
野寺に斧の音がして、野党が来たかと思ったら、もう夜が明ける頃で木こりが通う時間になっていた。
七十二句目。
すは夜盗野寺の門に朝朗
日比ためたる金仏あり 在色
金仏(かなぼとけ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金仏」の解説」に、
「〘名〙 銅などの金属で造った仏像。かなぶつ。
※史記抄(1477)一一「瑚璉は〈略〉宗廟の器で貴い物なれども、余の処へは不用ものぞ。よい金仏と云と同ものぞ。別の用には不立ぞ」
※仮名草子・都風俗鑑(1681)二「そんりゃうのかり小袖にて、金仏(カナボトケ)のごとく荘厳して」
とある。貯めたる金に金仏と掛詞になる。あのお寺の坊さんはお金をためて立派な銅の仏像を買ったことが噂になって、夜盗が嗅ぎつけてきた。
七十三句目。
日比ためたる金仏あり
古郷へは錦のまもり肌に付て 正友
「故郷に錦を飾る」という言葉は今でもよく用いられるが、謡曲『実盛』に、
「宗盛公に申すやう故郷へは錦を着て、帰るといへる本文あり。実盛生国は、越前の者にて候ひしが、近年、御領に附けられて、武蔵の長井に居住仕り候ひき。この度北国に、罷り下りて候はば、定めて、討死仕るべし。老後の思出これに過ぎじ御免あれと望みしかば、赤地の錦の直垂を下し賜はりぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.903). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。これも本文とあるから何かの引用だったのだろう。かなり古い言葉だったようだ。
ここでは前句の金仏は比喩であろう。たくさん貯めた金を仏に喩え、そのお守りの錦を着て故郷に錦を飾る。
七十四句目。
古郷へは錦のまもり肌に付て
田薗将に安堵の御判 雪柴
安堵(あんど)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「安堵」の解説」に、
「① (━する) 垣の内に安んじて居ること。転じて、土地に安心して住むこと。家業に安んずること。また、安住できる場所。
※続日本紀‐和銅二年(709)一〇月庚戌「比者、遷レ都易レ邑。揺二動百姓一。雖レ加二鎮撫一、未レ能二安堵一」
※古今著聞集(1254)一二「其より八幡にも安堵せずなりて、かかる身と成りにけるとぞ」 〔史記‐高祖紀〕
② (━する) 心の落ち着くこと。安心すること。
※保元(1220頃か)下「今度の合戦、思ひのほか早速に落居して、諸人安堵のおもひをなして」
※寛永刊本蒙求抄(1529頃)三「功をないた者には所領を取せいと云付るぞ。群臣━まうあんとぢゃと云ふたぞ」
③ (━する) 中世、幕府や戦国大名が御家人・家臣の所領の領有を承認すること。特に、親から受けついだ所領の承認を本領安堵という。
※吾妻鏡‐治承四年(1180)一〇月二三日「或安二堵本領一。或令レ浴二新恩一」
※太平記(14C後)三五「所帯に安堵(あんト)したりけるが、其恩を報ぜんとや思ひけん」
④ 以前本人またはその父祖が領有していた土地を取り戻すこと。〔日葡辞書(1603‐04)〕
⑤ 「あんどじょう(安堵状)」の略。
※上杉家文書‐明徳四年(1393)一一月二八日・足利義満安堵下文「去永徳二年十二月廿六日所レ給安堵紛失云々」
とある。
「田薗将に」は陶淵明の『帰去来辞』の「田園將蕪胡不歸」を本説として陶淵明の隠棲とする。
ただ、陶淵明もちゃんと保証された所領を持っていてそこに引き籠るのだから、当然③の意味の本領安堵なのだろう。
七十五句目。
田薗将に安堵の御判
境杭子々孫々に至まで 一鉄
幕府の安堵の判のある所領なら、この領地の境界線の杭も子々孫々に至るまで安泰だろう。
七十六句目。
境杭子々孫々に至まで
舟着見する松の大木 松臼
木を境杭の代りとするのはよくあることだったのだろう。第五百韻「くつろぐや」の巻四十九句目にも、
庄屋九代のすへの露霜
花の木や抑これはさかい杭 在色
の句がある。ここでは船を止める杭の代りに用いられている松の木になっている。
七十七句目。
舟着見する松の大木
志賀の山花待ち得たる旅行の暮 在色
志賀の山は散る花を詠むことが多い。
嵐吹く志賀の山辺のさくら花
散れば雲井にさざ浪ぞたつ
三条公行(千載集)
春風に志賀の山越え花散れば
峰にぞ浦の浪はたちける
藤原親隆(千載集)
などの歌がある。三井寺の後にある長等山をいう。
「待ち得たる旅行の暮」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『兼平』の、
ワキ:船待ち得たる旅行の暮。
シテ:かかる折にも近江の海の、
シテ・ワキ:矢橋を渡る舟ならば、それは旅人の渡舟なり。
(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.918). Yamatouta e books. Kindle 版.)
を引いている。前句を志賀の矢橋の船着き場として、長等山の花見客がやってくる。
七十八句目。
志賀の山花待ち得たる旅行の暮
京都のかすみのこる吸筒 卜尺
吸筒(すひづつ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「吸筒」の解説」に、
「〘名〙 酒や水などを入れて持ち歩いた、竹筒または筒型の容器。水筒。
※俳諧・鷹筑波(1638)二「さとりて見ればからき世の中 すひ筒に酒入てをくぜん坊主〈時之〉」
とある。空の水筒には京都の霞が入っている。
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