2022年10月6日木曜日

 それでは「髪ゆひや」の巻の続き。
 名残表、七十九句目

   家中の面々雲霞のごとし
 軍ぶれ忽きほふ春の風      在色

 軍ぶれは『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「軍の布告」とある。軍の御触書ということか。
 一大事ということで家中の面々を招集する。
 八十句目。

   軍ぶれ忽きほふ春の風
 天狗といつぱ鳥のさへづり    一朝

 天狗は翼があるので鳥の一種とも言えよう。軍をするぞとお触れを出しても、ただ風だけが気負っていて、鳥は囀るばかりで長閑なものだ。
 「いつぱ」は一派と一羽を掛けているので平仮名標記になる。
 八十一句目。

   天狗といつぱ鳥のさへづり
 朝戸明て看板てらす日の烏    一鉄

 烏天狗というのがいるから、天狗に烏は付け合いになる。
 天狗の看板はこの頃有名な店があったのだろうか。
 八十二句目。

   朝戸明て看板てらす日の烏
 膏薬かざる森の下町       松意

 神社の参道などの膏薬を売る店は「あるある」だったのだろう。
 八十三句目。

   膏薬かざる森の下町
 飛神や爰に時雨の雲晴て     正友

 飛神(とびかみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛神」の解説」に、

 「〘名〙 他の地から飛来して新たにその土地でまつられる神。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「膏薬かざる森の下町〈松意〉 飛神や爰に時雨の雲晴て〈正友〉」

とある。
 飛んできた神様が時雨の雲が晴れたので降りてきたと、霊験譚めかして膏薬もそれに由来するとする。
 八十四句目。

   飛神や爰に時雨の雲晴て
 謹上再拝あり明の月       松臼

 謹上再拝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「再拝」の解説」に、

 「① (ーする) くりかえして二度礼拝すること。再度敬礼すること。
  ※続日本紀‐宝亀一〇年(779)四月己丑「但渤海国使、皆悉下馬、再拝舞踏」
  ※将門記(940頃か)「先づ将門に再拝して」 〔書経‐康王之誥〕
  ② 書簡文の終わりに相手に敬意を表して用いる語。
  ※明衡往来(11C中か)下本「再拝稽顙謹言 三月日 前権中納言 按察中納言殿」

とある。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『蟻通』の、

 「謹上再拝。敬つて白す神司、八人の八乙女、五人の神楽男、雪の袖をかへし、白木綿花を捧げつつ、神慮をすずしめ奉る。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2350). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。紀貫之が玉津嶋神社を尋ねてゆく途中、雨の夜に蟻通明神を通りかかる。

 雨雲の立ち重なれる夜半なれば
     ありとほしとも思ふべきかは
 (野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2348). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の歌を詠む。
 オリジナルと大分変えてはあるが物語の趣向が生かされているので、本説と言って良いだろう。
 八十五句目。

   謹上再拝あり明の月
 見わたせば山河草木紅也     雪柴

 紅葉に見渡せばと詠む歌はいくつかあり、

 見渡せば紅葉しにけり山里に
     ねたくぞ今日は一人来にける
              道済(後拾遺集)
 見渡せば四方の木末に紅葉して
     秋をかぎりの山おろしの風
              藤原定家(拾遺愚草員外)

などの歌がある。ここでは朝の光が射して紅葉の色が姿を現す情景とする。
 八十六句目。

   見わたせば山河草木紅也
 坐にあひすあき樽の露      卜尺

 坐は「そぞろ」とルビがある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、

   山行     杜牧
 遠上寒山石径斜 白雲生処有人家
 停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花
 遠い寒山を登る道は石畳み、白い雲の生じる所には人の家があり、
 車を止めて気ままに晩秋の紅葉を鑑賞すれば、霜の降りた葉は桃の花よりも赤い。

の詩を引いている。
 紅葉もいいが酒も旨い。
 八十七句目。

   坐にあひすあき樽の露
 紙くずに泪まじりの文一つ    一朝

 前句を傷心のやけ酒とする。文はお約束の起請文か。
 八十八句目。

   紙くずに泪まじりの文一つ
 思ひにやけてはたく石灰     在色

 石灰(いしばひ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「石灰」の解説」に、

 「① 石灰石や貝殻などを焼いて得られる生石灰(酸化カルシウム)、それを空気中にさらして粉末となった風化石灰、また、水を加えて発熱させ粉末とした消石灰(水酸化カルシウム)の総称。古くから、消毒、肥料、漆喰(しっくい)などに使用。せっかい。〔十巻本和名抄(934頃)〕
  ② ①を防腐剤として用いた下等な酒。現在は見られない。

とある。
 アワビの貝の片思いに貝殻が焼けてしまったか。

 伊勢の海女の朝な夕なにかづくてふ
     鮑の貝の片思ひにして
              よみ人しらず(新勅撰集)
 八十九句目。

   思ひにやけてはたく石灰
 あはでのみ女郎は鰹の棚ざらし  松臼

 棚ざらしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「店晒・棚晒」の解説」に、

 「① 商品などが、長い間店先にさらされたままになっていること。また、その商品。たながらし。
  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「買ひ食ひしたなざらし餠固からん岩田河原で我は食ひけり」
  ② 張見世で売れ残った女郎。おちゃひき。
  ※雑俳・削かけ(1713)「うれにくい・みゑいぐにさへたなざらし」

とある。
 売れ残った鰹は焼いて食うから、灰まみれになる。前句の石灰を単なる白い灰とする。
 鰹節の白いのはカビだが、この頃はまだカビを用いて保存性を高める製法は普及してなかった。
 九十句目。

   あはでのみ女郎は鰹の棚ざらし
 人音まれに鎌倉海道       一鉄

 鎌倉も早朝の鰹の上がる時には賑わうが、その時を過ぎると通る人も少ない。
 九十一句目。

   人音まれに鎌倉海道
 草庵はちかきうしろの山の内   松意

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『忠度』の、

 シテ「人音稀に須磨の浦、
 ワキ「近き後の山里に、
 (野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.814). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 謡曲の言葉を用いているが、内容はそれとはあまり関係ない。
 今日の山ノ内は北鎌倉周辺で、建長寺、円覚寺、明月院、東慶寺、浄智寺など有名な寺が多い。ウィキペディアには、

 「古くは山内庄(現在の大船から横浜市栄区・戸塚区方面まで含む)の一部であり[7]、この一帯を領したのが山内氏である。鎌倉時代には有力武家の屋敷や建長寺、円覚寺が造られて栄えた。室町時代には関東管領の上杉氏(山内上杉家)が居を構え、現在でも「管領屋敷」という地名(北鎌倉駅近く)が残る。」

とある。かつてはもっと広い地域を差していたようだ。
 九十二句目。

   草庵はちかきうしろの山の内
 岩井の水にかしぐ斎米      志計

 「かしぐ」は「炊ぐ」で飯を炊くことを言い、斎米は僧に施す米だから、草庵の僧は斎米を岩井の水で炊く。

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