昨日の夜投稿する予定だったが忘れてた。
夜が明けると中国の台湾進攻の可能性が高まったことが話題になっている。
ロシアのウクライナ侵略が始まった時にも、これで中国が台湾に同時侵攻したら第三次世界大戦になるというようなことを書いたと思う。欧米の自由主義国の軍隊を導入しても、ロシアとウクライナの両面で戦うのはかなり苦しい。となると、このチャンスを逃すかとばかりに他の反米諸国が一斉に動き出す可能性があるからだ。
それだけでなく、欧米諸国にいる反米勢力、日本では統一教会で騒いでる連中だが、こうした連中は世界中にいて、一斉に反戦デモと称してロシアと中国の侵略を容認し、早期の降伏を求めるデモが起る可能性も高い。軍事的にいくら優位にあっても、欧米自由主義諸国の政権そのものがゆすぶられれば、大きな足かせになる。
もっとも、生産性の高い資本主義経済を潰して、前近代の生産性の低い社会に引き戻してでもという戦争では、結局ロシアにもウクライナにも勝機はない。武器はおろか、兵糧も確保できなくなり、やがて自滅する。
この戦争で一番危険なのは、勝てないなら世界を破滅させるという道を指導者が選択する可能性だ。
人はみな自分のささやかな幸せを守るために生きているのではない。ごく一部ではあるが、自分の生活を犠牲にしてでも歴史の終結のために戦うという人たちがいることだ。
歴史の終結はトロツキー的な永久革命かもしれないし、世界征服かもしれない。自分の生活を顧みない人にとって、人生は勝利のみを目的としてゲームにすぎない。敗色濃厚ならリセットボタンを押す可能性がある。
アメリカが最終的に勝者になるなら、一度リセットして世界史をやり直すというとんでもない選択肢を、核のボタンを握る人間は持っている。いつでも自分のデスクにリセットボタンがある二人の人物がいる。
ロシアのウクライナ侵略も経済的利益を度外視した抽象的なゲームのような戦争だった。利益のための戦争なら妥協の余地がある。利益のないただのゲームは勝つか負けるかしかない。
それでは「夜も明ば」の巻の続き。
二裏、三十七句目。
ちやかぼこの声絶し揚り場
水道や水の水上崩るらん 正友
江戸の低地では井戸を掘っても水に塩分があるため、早くから水道が整備された。それが水上の方で崩れたりすると泥水が入り込んだり、水が来なくなったり大変なことになる。さっきまで賑わっていた風呂場もみんないなくなってしまった。
三十八句目。
水道や水の水上崩るらん
立付あをる川おろしの風 雪柴
川の方から強い風が吹いてきて、建付けの悪い扉がバタバタする。川上の水道が心配だ。
三十九句目。
立付あをる川おろしの風
一駄荷の下知して曰ク舟に乗 一鉄
「乗」に「のれ」とルビがある。
一駄荷はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一駄荷」の解説」に、
「〘名〙 一頭の馬につける定量の荷物。江戸時代、伝馬制での本馬は一駄四〇貫目(一六〇キログラム)、軽尻は一駄二〇貫目とされていた。普通の一駄荷は、四斗俵の米二俵(三二貫目)。一駄。
※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)二「ふなちんは、一駄荷(ダニ)ののりかけは料足十五疋なり」
とある。
伝馬で荷物を運ぶように命じた役人が、川おろしの風に船の方が早く着くと見て舟に乗せるように命令を変更しに来る。荒々しく戸を開け閉めするあたるは役人風をいうべきか。
四十句目。
一駄荷の下知して曰ク舟に乗
東国方より出し商人 松臼
前句を偉そうにふるまう商人として、こういうのは大阪商人ではなく吾妻者やな、となる。
四十一句目。
東国方より出し商人
わらんべをかどはさばやと存じ候 一朝
これは謡曲『自然居士』の本説で、
「かやうに候者は、東国方の人商人にて候。われこの度都に上り、数多人を買ひ取りて 候。又十四五ばかりなる女を買ひ取りて候が、昨日少しの間暇を乞ひて候程にやりて候が、未だ帰らず候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2484). Yamatouta e books. Kindle 版. )
から取っている。
四十二句目。
わらんべをかどはさばやと存じ候
みだれたる世はただ風車 卜尺
児童誘拐のまかり通る世はまさに乱世。
風車は、
人住まぬ不破の関屋の板廂
荒れにしのちはただ秋の風
藤原良経(新古今集)
の「秋の風」を童だから「ただ風車」に変える。実質「秋風」の抜けと見ていい。
この歌は保元の乱以降の乱世を象徴する歌でもあった。
今では乱世というと戦国時代のイメージだったが、王朝を中心とした昔の歴史観では、王朝時代の終わり、武家政治の始まりが乱世だった。
王朝時代の皇位継承は整然と規則にのっとったもので、後継争いで血なまぐさい事件が起きることもなく、ただ皇子へ娘を嫁がせるための恋の争いにすぎなかった。
皇族の生活が税を基本として荘園の収入をプラスするだけの物で、安定していたのに対し、武家は所領からの収入で生活していて、その所領を相続をめぐって絶えず血で血を洗う相続争いが起きていた。
思うに平安時代の平和が荘園開発による右肩上がりの経済に支えられていたのに対し、こうした開墾事業が飽和状態になった頃から、他人の所領を暴力で奪う事件が多くなり、それが武家の台頭ということになったのではないかと思う。
その武家も子孫が増えればそれだけ多くの所領を必要とするものの、農地そのものの絶対面積はこれ以上増やせない状態だったため、戦争が常態化する乱世に陥っていった。
四十三句目。
みだれたる世はただ風車
其比は寿永の秋の影灯籠 在色
乱世の始まりということで治承・寿永の乱ということになる。寿永二年の秋は木曽義仲が入洛した頃になる。
くるくる回る影灯籠は風車のように目まぐるしく、まさに走馬灯だ。
四十四句目。
其比は寿永の秋の影灯籠
法然已後の衣手の月 松意
法然も寿永の時代を生きた人だった。
衣手の月は、
衣手はさむくもあらねど月影を
たまらぬ秋の雪とこそ見れ
紀貫之(後撰集)
あるいは、
月見れば衣手寒し更科や
姨捨山の嶺の秋風
源実朝(続千載集)
だろうか。
まあとにかく寿永以降の乱世は、心も寒いということ。
四十五句目。
法然已後の衣手の月
見渡ば霊岸嶋の霧晴て 雪柴
江戸の霊岸島には浄土宗の霊巌の建立した霊巌寺があったが、明暦三年(一六五七年)の大火で深川に移転した。
四十六句目。
見渡ば霊岸嶋の霧晴て
三俣をゆくふねをしぞ思ふ 志計
三俣は隅田川から東に小名木川、西に箱崎川が分かれる所で船が盛んに行き来していた。後に芭蕉庵もこの近くに建てられることになる。
前句の霧から、
ほのぼのとあかしの浦の朝霧に
島隠れゆく舟をしぞ思ふ
柿本人麻呂(和漢朗詠集、金玉和歌集)
の歌を本歌として「ゆくふねをしぞ思ふ」と結ぶ。
四十七句目。
三俣をゆくふねをしぞ思ふ
全盛を何にたとへん夕涼み 松臼
三俣を多くの船が行き交い、今まさに天下繁栄の全盛期を迎えている。この辺りの河辺は夕涼みに来る人も多い。
四十八句目。
全盛を何にたとへん夕涼み
中に名とりの大夫染きて 正友
今を時めく遊女の大夫がやってきて、その夕涼みする姿は何に喩えん。
四十九句目。
中に名とりの大夫染きて
かたばちに花をさかせてぬめりぶし 卜尺
「かたばち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「片撥」の解説」に、
「① 太鼓などの一対の撥のうちの一方。また、それで打つこと。能楽で太鼓の特殊な打ち方として、右手の撥だけで太鼓を打つこと。
※俳諧・玉海集(1656)付句下「一にぎりある夕立の雲 かたはちで太皷うつほど神鳴て〈貞徳〉」
※浮世草子・男色大鑑(1687)二「今春太夫が舞に、清五良が鞁(つづみ)、又右衛門がかた撥(バチ)、いづれか天下芸」
② 三味線の奏法の名称。撥の片面だけで弾くもので、すくうことをしない方法。テレン、トロンなどと、弾いてすぐすくう諸撥(もろばち)に対していう。片撥節(かたばちぶし)。
③ 江戸初期の流行歌(はやりうた)の一つ。寛永(一六二四‐四四)の頃から遊里で流行した。
※仮名草子・ぬれぼとけ(1671)中「かたばち もろきは露と誰がいひそめた我身も草におかぬばかりよ よし野」
[2] 三味線組歌の曲名。(一)②を取り入れて、組歌風に作り直した曲。破手片撥(はでかたばち)。」
とある。この場合は②であろう。片撥の華やかな演奏に乗せてぬめり節を謡う。
ぬめり節はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「滑歌」の解説」に、
「① 江戸時代、明暦・万治(一六五五‐六一)のころ、遊里を中心に流行した小歌。「ぬめり」とは、当時、のらりくらりと遊蕩する意の流行語で、遊客などに口ずさまれたもの。ぬめりぶし。ぬめりこうた。
※狂歌・吾吟我集(1649)序「今ぬめり哥天下にはやること、四つ時・九つの真昼になん有ける」
② 歌舞伎の下座音楽の一つ。主に傾城の出端に三味線、太鼓、すりがねなどを用いて歌いはやすもの。
※歌舞伎・幼稚子敵討(1753)口明「ぬめり哥にて、大橋、傾城にて出る」
とある。
五十句目。
かたばちに花をさかせてぬめりぶし
入日をまねく酒旗の春風 一鉄
早く日が暮れて夜にならないかなと、酒の旗をはためかせ、三味線にぬめり節を唄って客を待っている。
酒旗の春風は言わずとしてた、
江南春望 杜牧
千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中
千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え
水辺の村山村の壁酒の旗に風
南朝には四百八十の寺
沢山の楼台をけぶらせる雨
の詩による。
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