それでは「夜も明ば」の巻の続き。
二表、二十三句目。
そりやこそ見たか蛇柳の陰
消やらで罪科ふかき雪女 一朝
柳の陰に幽霊というのは柳が境界を表すという意味があったのだろう。ここでは蛇柳の陰で現れるのは雪女になる。
この時代ではなくもう少し後の貞享二年刊の洛下旅館著『宗祇諸国物語』では、二月のやや雪の溶けた頃、東の方の一反ほどの竹薮の北の端に背丈一丈(約3メートル)の肌が透き通るように白く、白い一重の着物を着た美女の姿を見た話が収録されている。
近づくと消えてしまい、光だけが残って辺りを照らし、やがて暗くなっていった。
それだけの話で、これといった物語があったわけではない。当時の人の雪女のイメージは、後の日本昔話的なストーリーはなく、単なる目撃談だけで終わる都市伝説に近いものだったのだろう。
宗祇が越後で稀に見る大雪に見舞われたことは宗長の『宗祇終焉記』にもあり、ネタ元になっていたのだろう。
柳は土地の境界に植えられたり、門の前に植えられたり、境界を示す木という性質を持っているから、それが現実と異界との境にもなって、怪異が起るというのは、昔の人の自然な発想だったのだろう。『宗祇諸国物語』では二月の真ん中、つまり仲春であり、東の方角に雪女が現れる。これは十二支では卯の方角で、柳は木偏に卯と書く。東は夜明けの方角であり卯の刻は夜と朝との境になる。竹薮と光はかぐや姫のパターンを引きずっている。
そういうわけで前句の蛇柳に雪女は自然な発想だったと言える。本来ならすぐ消えてしまう雪女も、蛇の化身の蛇柳の雪女だから、罪業が深くて成仏できないでいる。
二十四句目。
消やらで罪科ふかき雪女
悋気つもつて山のしら雲 松意
雪の積もるに掛けて、嫉妬心も積もり積もって山の白雲のようにあたりを白く包み込む。前句の罪科を嫉妬によるものとする。
二十五句目。
悋気つもつて山のしら雲
通い路は遠き竜田の奥座敷 在色
前句の山の白雲を龍田山の奥の白雲とする。
葛城や高間の桜咲きにけり
竜田の奥にかかる白雲
寂蓮(新古今集)
の歌を本歌とする。
葛城山は仁徳天皇が他に女を作ったことに嫉妬して、葛城山の高宮に籠って仁徳天皇にあうことを拒んだという記紀に描かれた物語も踏まえていて、ここではその葛城の高宮が竜田の奥座敷に移動している。
二十六句目。
通い路は遠き竜田の奥座敷
けふも蜜談さほ鹿の声 卜尺
蜜談は密談の事。竜田山の奥では鹿が密談している。「奥座敷」というのはしばしば密談に使われたのだろう。
竜田にさほ鹿は、
竜田山峰のもみぢ葉散りはてて
嵐に残るさを鹿の声
寂蓮(夫木抄)
などの歌がある。
二十七句目。
けふも蜜談さほ鹿の声
あの人にやらふらるまひ姫萩を 雪柴
萩は鹿の妻だと和歌には詠まれている。
秋萩の咲くにしもなど鹿の鳴く
うつろふ花はおのが妻かも
能因(後拾遺集)
宮城のの萩や牡鹿の妻ならん
花さきしより声の色なる
藤原基俊(千載集)
などの歌がある。
家のヒメハギをあの牡鹿にやるかやらないか、鹿が密談している。
二十八句目。
あの人にやらふらるまひ姫萩を
何百石の秋の野の月 志計
箱根の仙石原はウィキペディアに、
「仙石原のことを、古くは「千穀原」とも書いた。地名の由来については複数の説があり、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、豊臣秀吉の最古参家臣仙石秀久に由来する説や、源頼朝が雄大な原野を眺めて「この地を開墾すれば米千石はとれるだろう」と言ったのを由来とする説などがある。」
とある。この秋の野も開墾すれば何百石にもなる。萩の姫君はそんな薄が原に嫁がせるべきか否か。
二十九句目。
何百石の秋の野の月
詠むれば道具一すぢ露分て 松臼
道具はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「道具」の解説」に、
「① 仏道修行のための三衣一鉢など六物(ろくもつ)、十八物、百一物などといった必要品。また、密教で、修法に必要な法具をいう。仏家の器具。〔御請来目録(806)〕 〔梵網経菩薩戒本疏‐六〕
② 物を作ったり仕事をはかどらせたりするために用いる種々の用具。また、日常使う身の回りの品々。調度。
※讚岐典侍(1108頃)上「ひるつかたになるほどに、道具などとりのけて、皆人人、うちやすめとておりぬ」
③ 武家で槍。また、その他の武具。
※狂歌・新撰狂歌集(17C前)下「ゆうさいより長原殿へ当麻のやりををくられける時 お道具をしぜんたえまに持せつつおもひやりをぞ奉りける」
④ 身体にそなわっている種々の部分の称。
※虎寛本狂言・三人片輪(室町末‐近世初)「某は道具も有り合点が行まい。何共合点の行ぬ躰じゃ」
⑤ 能狂言や芝居の大道具・小道具。
※わらんべ草(1660)一「面、いしゃう、其外の道具も、まへかどにこしらへおくべし」
⑥ 他の目的のために利用されるもの。また、他人に利用される人。
※俳諧・雑談集(1692)上「もと付合(つけあひ)の道具なるを、珍しとおもへるは、未練なるべし」
とある。この場合は③で、何百石の殿様の行列が通り、槍持ちが露払いをする。
三十句目。
詠むれば道具一すぢ露分て
はり付柱まつ風の音 正友
付には「つけ」とルビがあり、磔(はりつけ)のこと。前句の槍を刑場で死刑を執行する槍とする。
三十一句目。
はり付柱まつ風の音
江戸はづれ磯に波立むら烏 松意
刑場には死体に群がる鴉が集まってくる。鈴ヶ森刑場は昔は東京湾のすぐそばだった。
三十二句目。
江戸はづれ磯に波立むら烏
御殿山より明ぼのの空 一鉄
御殿山は鈴ヶ森よりは北のJR品川駅の方になる。太田道灌の館があったところで、ここもかつては海に近かった。
三十三句目。
御殿山より明ぼのの空
木枕に掃除坊主の夢を残し 卜尺
木枕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木枕」の解説」に、
「① 木でつくった枕。籾殻(もみがら)などを布で包んだ円筒状のものを木製の台の上にのせて用いたものをもいった。箱枕。こまくら。《季・夏》
※虎明本狂言・枕物狂(室町末‐近世初)「ことわりや枕の跡よりこひのせめくれば、やすからざりし身のきゃうらんは、きまくらなりけり」
※俳諧・毛吹草(1638)五「ぬる鳥の木枕なれや花の枝〈作者不知〉」
② 江戸時代、楊弓場で、矢を立てるのに使用した台。
※雑俳・柳多留‐二七(1798)「矢をひろっては木枕へ立て出し」
とある。木の台に乗せた円筒状の枕は身分のある人の使うもので、前句の御殿に応じる。
掃除坊主が勝手に主人の枕で寝ちゃったんだろう。一時お殿様になった夢を見る。
三十四句目。
木枕に掃除坊主の夢を残し
小姓の帰るあとのおもかげ 一朝
掃除坊主は小姓と一夜を伴にし、小姓は朝になって帰って、俤だけがの枕に残る。
三十五句目。
小姓の帰るあとのおもかげ
下帯の伽羅の烟を命にて 志計
小姓の下帯には伽羅の烟が炊き込んであった。
三十六句目。
下帯の伽羅の烟を命にて
ちやかぼこの声絶し揚り場 在色
ちゃかちゃかはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ちゃかちゃか」の解説」に、
「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある) 動作に落ち着きがなく、さわがしいさまを表わす語。また、言動が派手でにぎやかなさまをもいう。
※縮図(1941)〈徳田秋声〉素描「ちゃかちゃかしないで落着いてゐるのよ」
とあり、ぼこぼこはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぼこぼこ」の解説に、
「[1] 〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)
① 中空のものをたたく音を表わす語。
② 水が泡立って流れたり、水中から物が浮き上がる音やさまを表わす語。また、連続して物や事が生じたり、押し寄せて来たりするさまを表わす語。
※落語・阿七(1890)〈三代目三遊亭円遊〉「『覚悟は宜(い)いか』と念仏諸共(もろとも)隅田川へザブーリと飛込んで、此奴が、情死(しんじう)と来て土左衛門がボコボコ浮上り」
③ 咳の音を表わす語。
※面影(1969)〈芝木好子〉二「絵を描きながらぼこぼこ咳をしていたが」
④ ゆっくりと歩く音、また、そのさまを表わす語。
※熊の出る開墾地(1929)〈佐左木俊郎〉「馬車はぼこぼこと落葉の上を駛(はし)った」
⑤ くぼみや穴がたくさんあるさまを表わす語。
※犬喧嘩(1923)〈金子洋文〉一「店にぢっと坐って、ふけのやうな塵埃(ほこり)で白くてぼこぼこした街路を眺めてゐることは」
とある。
当時のサウナ風呂であろう。風呂場は騒がしい音がするが、揚り場に出ると皆一心に体を拭いたり着物を着たりして静かになる。
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