2022年10月15日土曜日

 かつて民主党政権が誕生した時には、保守層の間に今の政権にお灸をすえねば、という意識があった。つまり政策が支持されてたわけではなかった。
 実際政権を取ってみると、公約だかマニフェストだとか、ほとんど実現しなかった。思いつきで言ったようなばら撒き公約は官僚に反対され、むしろ財源の不測から消費税増税を決めた。
 だが、民主党政権の一番の問題点は、党内を一つにまとめる能力がなかったという点に尽きる。同じ党内でここまで足の引っ張り合いをするかという状態で、政府として機能しなかった。
 今の立民も同じことを繰り返している。なぜそうなるのかというと、現実路線に舵を切ろうとすると、必ずそれを徹底的に叩こうとする連中がいるからだ。そういう声は日本共産党と連携して「民主主義革命」を求める声で、それが本当に立民の支持者なのかどうかは定かでない。
 この連中は常に組織的に行動し、マス護美とも連携している。いわゆる存在しない「統一教会」の問題で、立民の議員との関係が暴露されるようになったのも、立民の現実路線を阻止して革命路線に戻すための脅しと言って良い。
 立民は常にこうした勢力に振り回されている。現実路線を取ると必ず「野党らしい野党がなくなった」「自民党と変わらない」という声が上がってくる。
 立民が革命路線に縛り付けられると、革命至上主義の弊害として、日本国民を苦しめれば苦しめる程革命の日が近づくというとんでもない論理に陥って行く。自民党政治の足を引っ張り、いかなる改革も阻止することで、この国を貧しくすれば革命が起きる、という発想に陥って行く。
 この奇妙な革命至上主義の声がどこから来るのか、まあ大体見当はつくだろう。ツイッターのネットデモでもChange.orgでもコンスタントに五万件ほど集まるあの声だ。この声はマス護美が「ネットで炎上」だとか「大量の反対署名」だとか報道するあの声だ。

 それでは「峰高し」の巻の続き。
 三裏、六十五句目

   はらはんとせしもとゆひの露
 そちがいさめいかにも聞えた虫の声 松意

 虫の声で元結の露に気付いた。
 六十六句目。

   そちがいさめいかにも聞えた虫の声
 野辺のうら枯後世をおどろく   一鉄

 虫の声に下を見ると、野辺の草の先の方が枯れてきたのをを見て無常迅速を悟る。虫が諫めてくれた。
 六十七句目。

   野辺のうら枯後世をおどろく
 見わたせば千日寺の松の風    正友

 千日寺は難波の法善寺。千日念仏が行われる。第三百韻の「いざ折て」の巻五十七句目にも、

   三昧原に夕あらしふく
 千日をむすぶ庵の露ふかし    松臼

の句がある。
 松風に野辺のうら枯れに千日念仏と来れば、発心の要素が揃っている。
 六十八句目。

   見わたせば千日寺の松の風
 常香のけぶりみねのうき雲    松臼

 常香はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常香」の解説」に、

 「〘名〙 仏前にいつも絶やさないようにたく香。不断香。
  ※参天台五台山記(1072‐73)三「前立二常燈常花常香台一」
  ※滑稽本・浮世床(1813‐23)二「常香(ジャウカウ)もる間も忘れかねて、ほんにほんに泣かぬ間はなかった」

とある。千日念仏で香を焚き続ける。千日念仏をやる寺を法善寺ではなく、どこか山の方の寺とする。
 六十九句目。

   常香のけぶりみねのうき雲
 人中をはなれきつたる隠居住   一朝

 山の中の隠遁者とする。
 七十句目。

   人中をはなれきつたる隠居住
 岩井の流茶釜をあらふ      雪柴

 隠遁者を茶人とする。
 七十一句目。

   岩井の流茶釜をあらふ
 二三枚木の下たよる苔莚     在色

 山の中の野点とする。
 苔莚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苔筵」の解説」に、

 「① 苔が一面にはえたさまを、敷き物としてのむしろに見たてていう語。苔のむしろ。
  ※万葉(8C後)七・一一二〇「み吉野の青根が峯の蘿席(こけむしろ)誰か織りなむ経緯(たてぬき)無しに」
  ② 山に住む人や隠棲者あるいは旅人のわびしい寝床。苔のむしろ。
  ※千載(1187)雑中・一一〇九「宿りする岩屋の床(とこ)の苔莚いく夜になりぬ寝(ね)こそやられね〈覚忠〉」
  ③ (苔は、永遠、長久などのたとえに用いられる常滑(とこなめ)(水苔)を連想させるところから) 永遠の意のたとえ。
  ※長秋詠藻(1178)上「岩たたむ山のかたそのこけむしろとこしなへにもものを思哉」

とある。筵のような苔の意味にも苔のような筵の意味にも用いる。ここでは二三枚敷くから②の方。
 七十二句目。

   二三枚木の下たよる苔莚
 眠をさます蝉のせつきやう    卜尺

 木の下で野宿で、朝になると蝉が泣き出して起こされる。説教をするのだからつくつく法師だろうか。
 七十三句目。

   眠をさます蝉のせつきやう
 夕立のあとや凉しき与七郎    志計

 与七郎は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「寛永年間の大阪の説経浄瑠璃師」とある。コトバンクの「世界大百科事典内の与七郎の言及」に、

 「…このように説経節は本来,大道芸や門付芸であったが,その中から三味線を伴奏とし,人形をとり入れて操り芝居を興行するものがあらわれた。
[操り興行]
 《色道大鏡》(1678成立)巻八に〈説経の操は,大坂与七郎といふ者よりはじまる〉とあって,大坂では,伊勢出身というこの与七郎(説経与七郎)が寛永(1624‐44)ころ,生玉神社境内で操りを興行したと伝え,明暦~寛文(1655‐73)ころには説経七太夫も興行を行ったと伝える。この七太夫が江戸の佐渡七太夫の前身であろうとする説がある。…」

 「…説経語り。1639年(寛永16)の正本《山荘太夫》のはじめに,摂州東成郡生玉庄大坂,天下一説経与七郎とあるのは当人で,寛永年間(1624‐44)生玉境内で操り説経を上演したようである。《諸国遊里好色揃》(1692)の説に従うと,与七郎は伊勢出身の簓(ささら)説経の徒であったが,後に操り説経に転じて大坂で興行するようになったということである。…」

とある。
 夕立の跡の繰り芝居興行で、雨が止んで蝉の声もする中で行われる。
 七十四句目。

   夕立のあとや凉しき与七郎
 箒木の先のみじか夜の月     松意

 箒木は「ははき」とルビがある。
 そこいらの与七郎として、夕立で掃除も中止で、夕立が去れば箒を立ててのんびり月を見て涼む。
 七十五句目。

   箒木の先のみじか夜の月
 出来星は雲のいづこにきえつらん 一鉄

 出来星はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出来星」の解説」に、

 「① 急に夜空に現われた星。
  ※俳諧・毛吹草(1638)六「出来星と見やはとがめぬ揚燈籠〈宗除〉」
  ② にわかに立身出世すること。急に大金持になること。また、その人。なりあがり。
  ※歌舞伎・夢結蝶鳥追(雪駄直)(1856)三幕「主膳といふは出来星(デキボシ)の此頃流行る人相見」

とある。前句の箒木をほうき星とする。
 彗星は現れたと思ったら去って行く。この前まで見えていたのにどこへいったやら。
 比喩としては、俄成金も宵越しの金は持たねえとばかりにあっという間に使い果たし、今はどこへ行ったやら。
 七十六句目。

   出来星は雲のいづこにきえつらん
 空さだめなき年代記也      正友

 年代記などには彗星の出現が記録されている。
 ウィキペディアによると、『鎌倉年代記』には「正安3年(1301年)に地球に接近したハレー彗星についての記事がある」という。
 七十七句目。

   空さだめなき年代記也
 風わたるからくり芝ゐ花ちりて  松臼

 からくり芝居はコトバンクの「デジタル大辞泉「絡繰り芝居」の解説」に、

 「絡繰り人形の芝居。元禄期(1688~1704)を中心に、寛文から寛延に至る90年間に盛行。大坂道頓堀の竹田近江掾たけだおうみのじょうの芝居が有名。竹田芝居。」

とある。
 からくり芝居は旅芸人で、花見の人が集まる所にやって来ては、どこへともなく消えてゆく。「年代記」は出し物の名前としたか。
 七十八句目。

   風わたるからくり芝ゐ花ちりて
 所望かしよまうかうぐいすの声  一朝

 所望はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「所望」の解説」に、

 「〘名〙 ある物を手に入れたい、ある事をしてほしいなどとのぞむこと。のぞみ。ねがい。注文。
  ※明衡往来(11C中か)上本「所望之事成敗難レ計」
  ※虚子俳句集(1935)〈高浜虚子〉昭和六年四月「花冷の汁のあつきを所望かな」 〔資治通鑑‐巻六五〕」

とある。
 所望はからくり芝居の人が「何を所望か」と客のリクエストを聞く場面で、花も散ると人も少なく、鶯の声が返ってくるだけ。 

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