2022年10月26日水曜日

 今日は朝から晴れた。
 午後から松田のコキアの里へ行った。富士山が白かった。

 それでは「夜も明ば」の巻の続き。
 名残表、七十九句目。

   京都のかすみのこる吸筒
 重の内みなれぬ鳥に雉子の声   一朝

 雉は元禄七年の「松風に」の巻二十三句目に、

   陽気をうけてつよき椽げた
 幸と猟の始の雉うちて      雪芝

のように狩猟の対象となっていたから、食用にもなっていた。許六の『俳諧問答』にも、

 「火鉢の焼火に並ぶ壺煎
といふ処に遊ぶ。雉子かまぼこを焼たる跡ハ、かならず一献を待。」

とある。
 ただ、なかなか食べられるものでもなく、京で食事をしたら見慣れぬ鳥が出てきて、雉ではないかと盛り上がるところなのだろう。
 八十句目。

   重の内みなれぬ鳥に雉子の声
 焼野の見廻いはれぬ事を     松意

 見廻は「みまひ」とルビがある。
 雉に焼野は、「焼野の雉夜の鶴」という諺の縁で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼野の雉夜の鶴」の解説」に、

 「雉は巣を営んでいる野を焼かれると、わが身を忘れて子を救おうと巣にもどり、巣ごもる鶴は霜などの降る寒い夜、自分の翼で子をおおうというところから、親が子を思う情の切なることのたとえにいう。焼野の雉。夜の鶴。
  ※謡曲・丹後物狂(1430頃)「焼け野の雉夜の鶴、梁(うつばり)の燕に至るまで、子ゆゑ命を捨つるなり」

とある。
 「いはれぬ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「言ぬ」の解説」に、

 「① 言ってはならない。筋の通らない。わけのわからない。むちゃな。
  ※竹取(9C末‐10C初)「国王の仰せごとを、まさに世に住み給はん人の承(うけたまはり)たまはでありなんや。いはれぬことなし給ひそ」
  ※無名抄(1211頃)「この難はいはれぬ事なり。たとひ新しく出来たりとても、必ずしもわろかるべからず」
  ② 言わなくてもよい。余計な。無用の。いわれざる。
  ※寛永刊本蒙求抄(1529頃)二「かふある時は、本書と蒙求がちがうたと云て、なをさうもいわれぬことぞ」

とある。
 雉も焼野の見回りに来て撃たれてしまったか。余計のことをして。
 八十一句目。

   焼野の見廻いはれぬ事を
 塗垂に妻もこもりて恙なし    雪柴

 塗垂(ぬりたれ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗垂」の解説」に、

 「〘名〙 (「ぬりだれ」とも) 土蔵からひさしを出して塗家(ぬりや)にしたもの。〔易林本節用集(1597)〕
  ※俳諧・類柑子(1707)上「西北にならべる塗垂の間に一株の柳あり」

とある。塗家造りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗家造」の解説」に、

 「〘名〙 外壁を土や漆喰で厚く塗り、柱を塗り込んだ家の造り。また、その家。防火用の建築。
  ※歌舞伎・月梅薫朧夜(花井お梅)(1888)二幕「本舞台四間塗家造(ヌリヤヅクリ)、上手三間常足の二重六枚飾り」

とある。
 焼野になったところに見舞いに来たが、防火建築の中に籠っていたので無事だった。余計なことだったか。
 八十二句目。

   塗垂に妻もこもりて恙なし
 三年味噌の色ふかき中      志計

 塗家造の家に妻とずっと籠っていれば、三年味噌のように熟成した仲になる。
 八十三句目。

   三年味噌の色ふかき中
 この程のかたみの瘡気おし灸   松臼

 瘡気は梅毒のこと。三年連れ添った女は梅毒を残して死んでしまった。
 八十四句目。

   この程のかたみの瘡気おし灸
 それ者を立し末の松山      正友

 それ者(しゃ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「其者」の解説」に、

 「① その道によく通じている人。専門家。くろうと。
  ※仮名草子・可笑記(1642)五「此のたぐひかならずすきき過して、それしゃのやうになる物なり」
  ② (特に、くろうとの女の意で) 遊女。芸者。娼婦。商売女。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「この程のかたみの瘡気おし灸〈松臼〉 それ者を立し末の松山〈正友〉」
  [語誌]その道の専門家の意だが、特に遊里の遊びに慣れていて、その道によく通じた、いわゆる「粋人(すいじん)」を指していうことが多い。「評・色道大鏡‐一」には、「粋(すい)」「和気(ワケ)しり」も同意と説明がある。」

とある。
 形見に末の松山は、

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ
     末の松山波こさじとは
              清原元輔(後拾遺集)

で、百人一首でも知られている。
 遊女との別れの形見に梅毒をもらったとする。
 八十五句目。

   それ者を立し末の松山
 仕出しては浪にはなるる舟問屋  卜尺

 仕出しは多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「仕出」の解説」に、

 「① 作り出すこと。趣向をこらすこと。また、そのもの。工夫。流行。新案。
  ※わらんべ草(1660)二「一代の仕出の上手のまねは、にせべからず、三代、五代もつづきたる人は猶以古法をまもるべし」
  ※俳諧・鶉衣(1727‐79)後「さもなき調度のたぐひ、是は仕出しの風流なり、これは細工の面白しなどいひて」
  ② (形動) よそおい。いでたち。おめかし。おしゃれ。また、流行にのって美しくよそおうさま。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)七「浅黄のあさ上下に茶小紋の着物、小脇指の仕出し常とはかはり」
  ※浮世草子・世間妾形気(1767)一「まれなる博識に、上京風のいたり仕出しな男ぶり」
  ③ 生き方。生活の仕方。
  ※浮世草子・風流曲三味線(1706)三「堅いしだしの時代親仁。一生女の肌をしらず、朝暮小判を溜る事をのみ面白き業に思ひ」
  ④ 仕事をはじめること。またその結果、財産をつくり出すこと。身代を大きくすること。また、その人。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「是らは近代の出来商人(できあきんど)三十年此かたの仕出しなり」
  ⑤ 身許をあずかっている人や雇人に食事を出すこと。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ⑥ 料理などを、注文に応じて調理して届けること。また、その料理。〔多聞院日記‐天正一六年(1588)一〇月一一日〕
  ※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上「下々(したじた)をば町中よりしだしに仕れとて、献立をいださるる」
  ⑦ 役者などの所作、身ぶり、演技のしかた。
  ※評判記・役者口三味線(1699)江戸「にくげのないげいのし出し」
  ⑧ 歌舞伎で、幕明きなどに、場面の雰囲気を作ったり、主役の登場までのつなぎをしたりするための端役。また、その役者。しだしの役者。
  ※歌舞伎・助六廓夜桜(1779)「女郎買の仕出し」
  ⑨ 建造物の外側に突き出して構えた所。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ⑩ 近世の大型和船の外艫(そとども)の上に設けたやぐら。尻矢倉、船頭矢倉、出(だし)矢倉、見送りなど多様の呼称がある。」

とある。
 恋の文脈からすれば②の意味であろう。舟問屋が舟そっちのけでいそいそとめかし込んで遊郭に通い、遊女にに入れ挙げてその末の松山(別れ)、となる。

 霞立つ末の松山ほのぼのと
     波にはなるる横雲の空
              藤原家隆(新古今集)

の歌を逃げ歌にする。
 八十六句目。

   仕出しては浪にはなるる舟問屋
 秤の棹に見る鷗尻        一鉄

 前句の仕出を④の意味にして、一財産造ったから舟問屋をやめてどっか行ってしまったとする。
 鷗尻はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鴎尻」の解説」に、

 「① 太刀の鞘尻(さやじり)を上にそらせるように帯びること。伊達(だて)な様子。
  ※長門本平家(13C前)二「こがね作りの太刀かもめじりにはきなして」
  ② 秤竿(はかりざお)の端が上にはねあがる程、はかり目を十分にすること。目方の多いこと。
  ※俳諧・ゆめみ草(1656)冬「かもめ尻にはぬるやはかり棹の池〈正定〉」
  ③ =かもめづと(鴎髱)
  ※俳諧・誹諧発句帳(1633)「かしらよりはねあがりけり鴎尻〈立圃〉」

とある。稼いだ金が多くて天秤棹が跳ね上がるという意味だが、前句の「浪にはなるる」を受けて、鷗が尻を向けて飛び去るイメージとも重なる。
 八十七句目。

   秤の棹に見る鷗尻
 白鷺に香を濃に割くだき     松意

 ネット上の石橋健太郎さんの「『改正香道秘伝』(上巻)の翻刻」の「雪月花集」五十種之内のところに「白鷺」が含まれている。「雪月花集」は「香道用語読み方辞典」に、「三条西実隆の作と伝えられる名香目録」とある。
 高価な香だったのだろう天秤が跳ね上がる。
 八十八句目。

   白鷺に香を濃に割くだき
 釜の湯たぎる雪の明ぼの     在色

 白鷺の香を焚いて雪の曙に茶の湯を嗜む。

 あさぼらけ野沢の霧の絶え間より
     たつ白鷺の声の寒けさ
              藤原忠良(夫木抄)

の歌に寄ったか。
 八十九句目。

   釜の湯たぎる雪の明ぼの
 神託に松の嵐もたゆむ也     志計

 探湯(くがだち)だろうか。中世では湯起請と呼ばれていた。釜で湯を炊く神事はその名残とも言われている。
 雪の朝で手が凍り付いていると良い結果が出やすいとか、あったのかもしれない。
 九十句目。

   神託に松の嵐もたゆむ也
 岩根にじつと伊勢の三郎     一朝

 伊勢の三郎は伊勢義盛のことで、ウィキペディアに、

 「伊勢 義盛(いせ よしもり)は、平安時代末期の武士で源義経の郎党。『吾妻鏡』では能盛と表記されている。源義経・四天王のひとり。伊勢三郎の名でも知られる。出身は伊勢或は上野国といわれる。」

とある。
 特に神託を受けたとかいう本説はなく、伊勢神宮での連想であろう。
 九十一句目。

   岩根にじつと伊勢の三郎
 夕月夜二見が浦の鮑とり     正友

 伊勢の海人の鮑取りの三郎だった。
 九十二句目。

   夕月夜二見が浦の鮑とり
 波も色なる蛤の露        雪柴

 月に「波も色なる」は、

 あすもこむ野路の玉川萩こえて
     色なる浪に月やどりけり
              源俊頼(千載集)

による。

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