2022年10月9日日曜日

 沖縄の座り込みは、結局事実関係としては常時座り込んでるわけではないというのは双方とも認めていることで、大体工事のある日の搬入のある時刻しかやってはいない。
 ただ同じ事実をどう解釈するかの問題で、座り込みの有無にかかわらず闘争を継続しているから連続していると見るか、座り込んでない時間がかなり長く存在する以上そこで闘争は切れていると見るかの違いにすぎない。
 ただ、左翼があんなに怒っているのは、いかにもずっと座り込みを続けているかのような印象操作がバレたからなのは間違いない。
 基本的には左翼の方は人数も少なく高齢化していて、実際問題として四六時中座り込みを続けるわけにはいかないという事情があるのだろう。カメラが回っている時だけ大勢人がいて、というデモは少数派のデモとしては必然と言えよう。韓国の少女像前のデモも同じようなものだった。
 あと、「道くだり」の巻「秋の空」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「髪ゆひや」の巻の次は、同じく松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第七百韻を行ってみようと思う。
 発句。

 峰高し上々めどをり松の月    志計

 「めどをり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「目通」の解説」に、

 「① 目の前。めさき。めじ。
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)三「慰のためとて庭籠鳥を目通りへ放ちける」
  ② 目の高さ。目のあたり。目に触れるあたり。
  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)三「目通(トヲリ)より高く手をあげさせず」
  ③ 貴人の前に出てまみえること。身分の高い人にお目にかかること。お目通り。
  ※暁月夜(1893)〈樋口一葉〉四「目通(メドホ)りも厭やなれば疾く此処を去(い)ねかし」
  ④ 立ち木の太さにいう語。人が木の傍に立って、目の高さに相当する部分の樹木の太さ。目通り直径。
  ※俳諧・毛吹草(1638)四「大和 〈略〉松角 目通と云 書院木に用」

とある。
 眺めれば高い峰があって、その下の方の目の高さに見える松の木の辺りから月が昇る。
 月が峰にかかることなく早く昇って、早くから明るい夜になった。上々だ。
 脇。

   峰高し上々めどをり松の月
 揚て無類な岩の下露       一鉄

 発句の上々に「無類な」と応じ、峰に岩、月に露と四手に付ける。
 第三。

   揚て無類な岩の下露
 磯清水喉に秋もやくぐるらん   松臼

 磯清水は、

 いかにせむ世をうみ際の磯清水
     汐満ちくればからき棲家を
              源仲正(夫木抄)

の歌に詠まれている。
 前句の岩の下露を湧き水としその塩辛さに秋を感じるとする。五行説では秋は辛味になる。芭蕉にも、

 身にしみて大根からし秋の風   芭蕉

の句がある。
 四句目。

   磯清水喉に秋もやくぐるらん
 葛の粉ちらす浜荻のこゑ     正友

 葛粉は葛の根から採れる澱粉で、かつては救荒食糧とされていた。不作で葛粉を喉に通す。
 伊勢の浜荻は蘆のことで、前句の磯の応じる。
 五句目。

   葛の粉ちらす浜荻のこゑ
 海士の子がせんだく衣はり立て  雪柴

 葛粉は冷すと固まるので海士の子が洗濯糊の代りに用いる。
 六句目。

   海士の子がせんだく衣はり立て
 旅の幸便さだめかねつる     一朝

 幸便(かうびん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「幸便」の解説」に、

 「〘名〙 つごうがよいこと。よいついで。また、そのような時に人に手紙を託することが多かったので、手紙の書き出しの文句や添え書きのことばとしても用いる。
  ※言継卿記‐天文二年(1533)一一月紙背(高倉永綱書状)「一昨日幸便文を進レ之候をとりをとし」
  ※嵐蘭宛芭蕉書簡‐元祿四年(1671)二月一三日「幸便啓上」

とある。
 前句の海士の子の親は旅に出たのだろう。手紙も来なくて不安だ。
 七句目。

   旅の幸便さだめかねつる
 取あへず一筆令啓達候      卜尺

 令啓達候は「けいたつしめそろ」とルビがある。啓を達ししめ候で前句の幸便と合わせて手紙の書き出しの常套句とする。「とりあえず手紙を書きますが、うまく届くかどうかは分かりません」という意味になる。
 八句目。

   取あへず一筆令啓達候
 出来合料理御こころやすく    在色

 前句の「取あへず」から、取り合えず既に出来ている料理を届けますので、遠慮しないでください、とする。

0 件のコメント:

コメントを投稿