今日は旧暦九月十五日の満月。
ネトウヨの意味を辞書風にまとめると、こんなかな。
①少人数でたくさんのアカウントを駆使して多数派であるかのように装った右翼。
②左翼でない者。
③Jアノンのこと。
④統一教会のこと。
筆者の場合②の意味ではネトウヨになる。
それでは「峰高し」の巻の続き。
九句目。
出来合料理御こころやすく
居つづけに是非と挙屋の内二階 松意
居つづけはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「居続」の解説」に、
「① 一つ所に長くいて、家に帰らないこと。引き続いて同じ所にいること。
※浮世草子・西鶴織留(1694)五「是程せつなくて、居つづけの奉公あるにも」
② 特に遊里などで遊び続けて帰らないこと。また、その客。流連。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「出来合料理御こころやすく〈在色〉 居つづけに是非と挙屋の内二階〈松意〉」
③ 遊里で、雪の降る朝は居続けする客が多いことから、朝の雪をしゃれていう。
※雑俳・柳多留‐四六(1808)「居つづけがちらつきんすと禿言」
とある。
遊郭に入り浸っていると揚屋の中二階に出来合いの料理を持ってきてくれる。
十句目。
居つづけに是非と挙屋の内二階
誓紙その外申事あり 執筆
なかなか金払いのいい客だったのだろう。このままもう少しいてくださいと起請文を書いてきて、その他の用は身請けの相談か。
十一句目。
誓紙その外申事あり
足利の何左衛門が役がはり 一鉄
起請文は武家の忠誠の誓いとしても用いられていた。役替りの時にも起請文が要求されることがあったのだろう。
十二句目。
足利の何左衛門が役がはり
御蔵にこれほど残ルそめ絹 志計
前句を商家の役替りとする。蔵に売れ残った染絹の在庫を抱えていたのが配置換えの原因か。
十三句目。
御蔵にこれほど残ルそめ絹
入札は他の国より通ひ来て 正友
入札は「いれふだ」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入札」の解説」に、
「① 多数の買い手、工事請負人がある場合、それぞれの見積り価額を書いた紙を提出させ、その結果を見て買い手、請負人を決めること。また、その見積り価額を書いた用紙。にゅうさつ。競売。せりうり。
※慶長見聞集(1614)三「百両も二百両も積置皆入札を入、是を買とる」
② 江戸時代、村役人や住職などを選ぶ際、名前を記して投票した用紙。また、一般に投票すること。〔書言字考節用集(1717)〕
③ 頼母子(たのもし)(=無尽)で、二回目以後の取り人を決めるとき、各自の希望取り金額を書かせ、一番安い金額を書いたものに決定すること。主として関西で行なわれた方法。また、その取り金額を書いた用紙。
※徳川時代警察沿革誌(1884‐91)三「又者終り迄掛続兼候もの者相対次第入札いたし掛金高を請取相退」
とある。
大量の染衣が蔵ごと競売に出されたのだろう。遠くからも競売にやってくる。
十四句目。
入札は他の国より通ひ来て
一座をもれて伽羅の香ぞする 松臼
伽羅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「伽羅」の解説」に、
「① (kālāguru (kālā は伽羅、黒の意、aguru は阿伽、沈香の意)の略。また、tāgara (多伽羅、零陵香と訳す)の略ともいう) 沈香の優良品。香木中の至宝とされる。〔伊京集(室町)〕
※評判記・色道大鏡(1678)二「傾城に金銀を遣す外に、伽羅(キャラ)を贈る事を心にかくべし」 〔陀羅尼集経‐一〇〕
② 優秀なもの、世にまれなものをほめていう語。極上。粋。
※俳諧・隠蓑(1677)春「立すがた世界の伽羅よけふの春〈蘭〉」
※浄瑠璃・十六夜物語(1681頃)二「姿こそひなびたれ、心はきゃらにて候」
③ 江戸時代、遊里で、金銀、金銭をいう隠語。〔評判記・寝物語(1656)〕
④ お世辞。追従。
※浄瑠璃・壇浦兜軍記(1732)三「なんの子細らしい。四相の五相の、小袖にとめる伽羅(キャラ)ぢゃ迄と仇口に言ひ流せしが」
⑤ 「きゃらぼく(伽羅木)」の略。
※田舎教師(1909)〈田山花袋〉一一「前には伽羅(キャラ)や躑躅や木犀などの点綴された庭が」
とある。まあ、江戸時代では遊女を連想させるものだったのだろう。遊女の人身売買の入札か。
十五句目。
一座をもれて伽羅の香ぞする
酒盛はともあれ野郎の袖枕 一朝
前句の伽羅の香を男娼のものとする。
十六句目。
酒盛はともあれ野郎の袖枕
思ひみだるるその薩摩ぶし 雪柴
薩摩節はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「薩摩節」の解説」に、
「① 浄瑠璃節の一つ。薩摩浄雲が寛永(一六二四‐四四)の頃江戸で語りはじめ、多くの江戸浄瑠璃の流派を生んだ。硬派の江戸浄瑠璃の元祖。浄雲節。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「酒盛はともあれ野郎の袖枕〈一朝〉 思ひみだるるその薩摩ぶし〈雪柴〉」
② 元祿(一六八八‐一七〇四)頃流行した七七七五型の唄。
※歌謡・松の葉(1703)三・薩摩ぶし「さつまぶし。おやは他国に、子は島原に、桜花かや散りぢりに」
③ 文政(一八一八‐三〇)頃流行した薩摩の金山をうたった舟唄。それを少し改めたものが歌舞伎の下座や小唄に、「さつまさ」という曲名で歌われている。
※歌謡・浮れ草(1822)薩摩節「薩摩節。さつまさつまと急いで押せど、いやな薩摩に金山しょんがへ」
④ 薩摩国(鹿児島県)から産出する鰹節。形状が大きく土佐産とならび本場物とされる。」
とあり、この時代は①になる。「精選版 日本国語大辞典「浄雲節」の解説」には、
「〘名〙 江戸初期の古浄瑠璃の一つ。寛永(一六二四‐四四)の頃、薩摩太夫浄雲が江戸で語り始めたもの。江戸浄瑠璃に大きな影響を与えた。薩摩節。〔随筆・本朝世事談綺(1733)〕」
とある。
古浄瑠璃から人形芝居への移行期で、やがて元禄になると江戸浄瑠璃として確立される。初期の頃は野郎歌舞伎のような売春も行われていたか。
十七句目。
思ひみだるるその薩摩ぶし
立わかれ沖の小嶋の屋形船 雪柴
薩摩と沖の小嶋は、
薩摩潟おきの小島に我ありと
親にはつげよ八重の潮風
平康頼(千載集)
の縁がある。喜界島に流された時の歌だが、それを江戸の屋形船にする。
船は吉原から離れて佃島の方へ向かったか。屋形船では酒宴が行われ、薩摩節が唄われている。
十八句目。
立わかれ沖の小嶋の屋形船
花火の行衛波のよるみゆ 卜尺
両国では花火が打ち上げられていたが、この時代は各自が実費で勝手に花火で遊んでいる状態で、今のような花火大会になるのは享保十八年(一七三三年)の両国川開きからになる。
この場合はねずみ花火のような、どこへ飛ぶかわからない花火であろう。
花火は近代では夏の季語だが貞徳の『俳諧御笠』には、
「正花を持也。春に非ず、秋の由也。夜分也。植物にきらはず。」
とある。正花なので花の定座の繰り上げになる。
十九句目。
花火の行衛波のよるみゆ
いざや子ら試楽を照す秋の月 志計
試楽(しがく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「試楽」の解説」に、
「〘名〙 (ためし試みる楽の意) 平安時代に楽舞の公式演奏の予行演習として行なう楽。石清水八幡宮や賀茂神社などの臨時祭の二日前に、宮中の清涼殿前庭で、東遊(あずまあそび)と神楽を天覧に供する行事をさすことが多い。
※九暦‐九暦抄・天徳三年(959)七月二六日「左右相撲司試楽」
※蜻蛉(974頃)中「十日の日になりぬ。ここにて、しがくのやうなることする」
とある。
ここでは宮廷の試楽ではなく、秋祭り舞楽奉納の試楽であろう。
二十句目。
いざや子ら試楽を照す秋の月
神慮にかなふ鈴虫の声 松意
神社には鈴が付き物なので、鈴虫の神社にふさわしい。
二十一句目。
神慮にかなふ鈴虫の声
金ひろふ鳴海の野辺のぬけ参 松臼
前句の神慮をお伊勢参りの神慮とする。
鈴虫に鳴海は、
古里にかわらざりけり鈴虫の
鳴海の野辺の夕暮れの声
橘爲仲(詞花集)
の歌がある。
二十二句目。
金ひろふ鳴海の野辺のぬけ参
草のまくらに今朝のむだ夢 一鉄
金を拾ったと思ったら夢だった。
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