最近あまりウクライナのニュースが流れないのは、まあ、便りがないのは良い便りというところか。
世界は一つにはならない。ただ科学とグローバル市場を共通言語とした多様性社会へ、再び前進を始めることだろう。ロシアが負ければ中国が最後の砦となる。
経済を犠牲にしてでも戦争を起こすというのが、いかに馬鹿げたことか、すぐにも証明されるだろう。経済を犠牲にしたら武器も買えないし、兵隊の給料も払えない。
最初はどうなることかと思ったが、市場の勝利は揺るがなかった。マクドナルドの黄金のアーチは正しかった。マクドナルドに逃げられた国は負ける。
国内でも国葬、統一、マイナカードとあの連中はガンガン攻めているようでも、それが支持率に結びつかずに閉塞感を強めている。
安倍元首相暗殺の時はテロを非難する余裕があったが、今はそれすらなくなり、出所した元テロリストの重信房子を持ち上げたりしている。沖縄戦に投入されるらしいが、かつての玉砕の地だ。
かといってあの連中が今さらテロをするかというと、その若さもなさそうだ。老兵は死なず、ただ消えてゆくのみ。
ギャーギャー騒いでる連中を無視していけば、このまま穏やかな時代に戻ってゆくような気がする。コロナも事実上終わっている。
今日は旧暦九月二十三日で、まだまだ秋は終わらないということで、続けて『談林十百韻』の第八百韻を読んでいこう。
発句。
夜も明ばけんぺきうたんから衣 正友
「けんぺき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「痃癖・肩癖」の解説」に、
「① 首すじから肩にかけての筋のひきつるもの。肩凝り。打肩。けんびき。〔文明本節用集(室町中)〕
※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「太刀担やい火数多に据へぬれば絶へぬ薬にけんべきもなし」
② 肩から首筋にかけての辺り。けんぺきどころ。けんびき。
※歌舞伎・鳴神(日本古典全書所収)(1742か)「一帳羅をらりにしたわいの。ほんに、けんぺきまで濡れたわいなう」
③ (肩の凝りを治すところから) 按摩(あんま)の術。けんびき。
※浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)野崎村「艾(もぐさ)も痃癖(ケンペキ)も大掴みにやってくれ」
④ (形動) 思案にくれ肩が凝るほどの心配事。また、心配なさま。けんびき。
※雑俳・柳多留‐六(1771)「よし町のけんへきに成るいろは茶や」
とある。
夜通し砧を打っていれば、夜の明ける頃には肩が痛くなるから、肩も叩かなくてはならない。
「夜も明ば」は『伊勢物語』十四段の陸奥の女の歌、
夜も明けばきつにはめなでくたかけの
まだきに鳴きてせなをやりつる
の歌に用例がある。夜が明けたら狐に食わすぞ糞鶏まだなのに鳴いて彼氏帰らせ、といったところか。
脇。
夜も明ばけんぺきうたんから衣
ちりけもとより秋風ぞ吹 松臼
「ちりけもと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「身柱元」の解説」に、
「〘名〙 (「ちりげもと」とも) ちりけのあたり。えりくびのあたり。くびすじ。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「夜も明ばけんぺきうたんから衣〈正友〉 ちりけもとより秋風ぞ吹〈松臼〉」
とある。前句の肩癖に応じる。肩癖は片の内側の筋を言い、身柱元は肩の外側の襟との間を言う。
凝った肩の辺りに秋風が吹く。
唐衣に秋風は、
花薄おほかる野辺は唐ころも
たもと豊かに秋風ぞ吹く
宗尊親王(続古今集)
唐衣袖も草葉もおしなべて
秋風吹けば露ぞこほるる
西園寺実兼(続後拾遺集)
などの歌がある。
第三。
ちりけもとより秋風ぞ吹
化もののすむ野の薄穂に出て 一朝
前句の襟元の秋風を、幽霊の気配にぞくっとする感覚に取り成す。
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、
旅人のいる野の薄穂に出て
袖の数そふ秋風ぞ吹く
西園寺実氏(新後撰集)
の歌を引いている。言葉の続き具合をそのまま取っている。
四句目。
化もののすむ野の薄穂に出て
毛のはへた手のきりぎりす鳴 松意
きりぎりすはコオロギのことでコオロギの足には小さな毛がある。ススキの穂の綿毛に応じたものであろう。
薄にきりぎりすを詠んだ歌は見つからなかったが、薄に虫の音は、
虫の音もほのかになりぬ花薄
秋の末には霜や置くらむ
源実朝(続古今集)
の歌がある。
五句目。
毛のはへた手のきりぎりす鳴
大力ふけゆく月の枕引 一鉄
大力(だいぢから)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「大力」の解説」に、
「〘名〙 非常に強い力。また、その持主。怪力。だいりき。
※平家(13C前)五「互におとらぬ大(ダイ)(高良本ルビ)ぢからなりければ、上になり下になり」
とある。
枕引(まくらひき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「枕引」の解説」に、
「〘名〙 (「まくらびき」とも) 木枕の両端を二人が指先でつまんで引き合う遊戯。枕を引き取った方を勝ちとする。まくらっぴき。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「大力ふけゆく月の枕引〈一鐵〉 ゑいやゑいやに又かねのこゑ〈卜尺〉」
とある。
前句の毛の生えた手を枕引きをする怪力男の手とする。
六句目。
大力ふけゆく月の枕引
ゑいやゑいやに又かねのこゑ 卜尺
「かね」と平仮名標記で、明け方の鐘をあえて金と掛けるというのは、枕引きで金をを賭けていたからだろう。
七句目。
ゑいやゑいやに又かねのこゑ
雲かかる尾上をさして何千余騎 在色
前句を陣鐘とする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「陣鐘」の解説」に、
「古代、軍防令(ぐんぼうりょう)にある、中国の軍制に倣った「鉦(しょう)」に由来する合図の軍器。軍勢を召集、進退させ、威武のために太鼓、法螺(ほら)貝とともに使用する釣鐘(つりがね)、伏鐘(ふせがね)、銅鑼(どら)などの打ち鐘で、集団戦を主とする戦国時代に普及した。古くは『続日本紀(しょくにほんぎ)』に騎兵を鉦で布陣させた記録があり、令制では官専用の軍器として、鼓、角(大角(はらふえ)・小角(くだぶえ))とともに私蔵を禁じた。中世、寺鐘の臨機の使用はあるが、軍記、絵巻にはみえず、わずかに『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』に、蒙古兵が太鼓とともに銅鑼を打つさまがみえる。戦国時代には、指令・示威にさまざまの鐘を打ち鳴らし、城郭内に鐘突(かねつき)堂を設け(『太閤記(たいこうき)』)たり、寺鐘を転用したりして、近世、軍陣専用の陣鐘という呼称を生じた。」
とある。
八句目。
雲かかる尾上をさして何千余騎
仮名実名山ほととぎす 志計
仮名実名は「けみやうじつみやう」とルビがある。ウィキペディアには、
「仮名(けみょう)は、江戸時代以前に諱を呼称することを避けるため、便宜的に用いた通称のこと。」
とある。
江戸時代は名前を幾つも持つのが普通で、近代のいわゆる戸籍上の「本名」の概念はない。諱(いみな)は僧の法名以外は死後用いられるもので、それに対して普通に用いられている名前は仮名になる。
つまり何千余騎も合戦で死者と生者に分かれてゆき、血反吐見せてなくというホトトギスの恨みの声がする。
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