芭蕉脇集。
貞享四年の句は多い。今日はまだその一部。
旅に出るといろいろな出会いがあるため、脇を詠む機会も増えるのだろう。
貞享四年
南窓一片春と云題に
久かたやこなれこなれと初雲雀 去来
旅なる友をさそひ越す春 芭蕉
去来は貞享三年の『蛙合』にも参加しているが、ここでは歌仙興行の発句を務めることになる。其角、嵐雪という江戸の蕉門の主要メンバーを交えてのことで、さぞかし緊張の一句だったのではないかと思う。
「南窓一片春」の句の出典はよくわからない。「南窓」は陶淵明『帰去来辞』の「倚南窗以寄傲、審容膝之易安」によるものか。去来の名前も「帰-去来」だし。隠士の窓に小さな春が、ということか。
「久方や」は枕詞だが、九天の彼方からというような意味合いがあるし、九天の方が久方になったという説もある。ここでは「空高く」というような意味。
「こなれ」は今では「こなれ感」とかいって「こなれた」「習熟した」という意味で用いられる。ファッションでは着慣れないものを着ているような違和感がない、というような感覚で用いられる。
「なれ」は本来は輪郭を失うことで、そこで隔たりがなくなることをいう。
ただ、ここでの「こなれ」は違うように思える。これは「こ・成れ」で、「このようになれ」という意味ではないかと思う。天高く空を飛ぶ雲雀が「来てみろよ」と誘っているのではないかと思う。
だから芭蕉の脇も「旅なる友をさそひ」となる。
前句の天高く飛ぶ雲雀は言わずと知れた芭蕉の比喩だが、芭蕉は逆にして旅で江戸に来ている去来を雲雀とし、この私を旅に誘っている、と受ける。
旅泊に年を越てよしのの花にこころせん事を申す
時は秋吉野をこめし旅のつと 露沾
雁をともねに雲風の月 芭蕉
前書きの「旅泊に年を越てよしのの花にこころせん事」は『笈の小文』の旅を指す。春に去来に誘われたせいか、芭蕉も再び関西方面を旅し、吉野の桜を見ようと思い立つ。
発句はまだ旅立ちではないけど、ちょっと早い餞別句になっている。「旅のつと」の中には露沾の用意したものも多々あった。『笈の小文』の本分に、
「時は冬よしのをこめん旅のつと
此の句は露沾公より下し給はらせ侍りけるを、はなむけの初として、旧友、親疎、門人等、あるは詩歌文章をもて訪ひ、或は草鞋の料を包みて志を見す。かの三月の糧を集るに力を入れず、紙布・綿小などいふもの、帽子・したうづやうのもの、心々に送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小船をうかべ、別墅にまうけし草庵に酒肴携へ来りて、行衛を祝し、名残をおしみなどするこそ、故ある人の首途するにも似たりと、いと物めかしく覚えられけれ。」
とある。「別墅にまうけし草庵に酒肴携へ来りて、行衛を祝し」がこの歌仙の興行になる。
この発句に芭蕉は、「雁をともねに雲風の月」と自分の旅に思いをめぐらすに留める。
江戸桜心かよはんいくしぐれ 濁子
薩埵の霜にかへりみる月 芭蕉
これも『笈の小文』の濁子からの餞別句で、半歌仙の興行が行われている。
これから何度に時雨に打たれても、吉野の桜は江戸の桜にも通うんだという発句に、きっと薩埵峠を越えるときには江戸の方を振り返って月を見ると思うよ、と答える。
薩埵峠で振り返れば、もちろん月だけでなく富士山の姿を間近に見ることができる。
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