今日は鎌倉へ行ってから横須賀に行った。極楽寺ではまだ彼岸花が咲いていた。ヴェルニー公園では薔薇が咲いていた。
それでは「松風に」の巻の続き。
二十九句目。
日なれてかかる畑の朝霜
母方にはなれて月の物淋し 雪芝
両親が離婚し、母方に引き取られてということか。「日なれて」を新しい生活にもようやく慣れてという意味に掛けて用いる。
『江戸の農民生活史』(速水透、一九八八、NHKブックス)の美濃国安八郡西条村の宗門改帳の調査によると、
「他方、離婚の方をみると、天明元年(一七八二)からの四十年間に二十件と、同じ時期の結婚件数一〇六件の十九パーセントに達し、夫婦五組に一組は離婚したことになる。その後は激減し、残りの五十年間では結婚一二三件に対し六件と五パーセント、二十組に一組に減ってしまった。」(p.139)
という。
一つの村の統計だけだが、江戸時代の離婚率もそれなりに多かったことが予想される。夫婦にトラブルがあると、妻の父が怒って引き戻すということもあり、蕪村の娘もそうだった。
三十句目。
母方にはなれて月の物淋し
鼠の籠るまき藁のうち 卓袋
「まき藁」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「稲のわらを巻いて束ねたもの。弓術練習の的、また空手道で突きの稽古など、武術練習の道具に用いられる。」
とある。
母子家庭で弓を教わることもなくなり、父の形見のまき藁も鼠の巣になっているということか。
三十一句目。
鼠の籠るまき藁のうち
傍輩の髪を結あふ黴の雨 猿雖
黴は「つゆ」で梅雨のこと。梅雨のさ中、仲良く髪を結いあう二人の男は今なら腐女子が喜びそうな場面だが、『源氏物語』の雨夜の品定めのイメージか。
『源氏物語』自体も女性の作者により女房向けに書かれた作品だから、当然の事ながら源氏の君と頭の中将、あるいは兵部卿宮(藤壺中宮の兄の方の)とのツーショットシーンはそれが意識されていると思われる。
三十二句目。
傍輩の髪を結あふ黴の雨
肴出す程さけはしみなり 雪芝
『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)の注には、「しむなり[翁俳・幽・金・一・珍]。染けり[袖])」とある。「しみなり」は酒が染みる(酔いが回る)という意味。
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