今年は台風の当たり年で、また台風が近づいている。直撃はなさそうだが、今夜も雨が降っている。
さて、先日の『三冊子』の続きで、芭蕉の脇の付け方を土芳を通して見てみよう。
「菜種干ス莚の端や夕涼み
蛍迯行あぢさいのはな
此脇、発句の位を見しめて事もなく付る句也。同前栽其あたりの似合敷物を寄。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.124)
この句は『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)では元禄七年の夏の所にある。
菜種ほすむしろの端や夕涼み 曲翠
蛍迯行あぢさゐの花 翁
とある。
「迯」は「逃」と同じ。
菜種は菜の花が咲いたあと二ヶ月から三ヶ月で種になり収穫し、乾燥させる。その頃には暑くなり、菜種を乾燥させている筵の隅っこに座って夕涼みすることはよくあったのだろう。
発句の寓意を受けずにさらっと流すのは、芭蕉の晩年の脇の付け方だったのだろう。蕉風確立期なら「蛍の止まる」とでもしそうだ。意図的にその古いパターンをはずした風にも見える。
「霜寒き旅寝に蚊帳を着せ申
古人かやうの夜の木がらし
此脇、凩のさびしき夜、古へかやうの夜あるべしといふ句也。付心はその旅寝心高く見て、心を以て付たる句也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.124)
この句は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)では、『稿本野晒紀行』の、
霜の宿の旅寝に蚊帳をきせ申 如行
古人かやうの夜のこがらし 蕉
の形で収められている。貞享元年の『野ざらし紀行』の旅の途中での吟だったが、二年後の貞享三年に刊行された『春の日』では発句のみ、
霜寒き旅寝に蚊屋を着せ申 如行
と上五を直した形で掲載されている。
「蚊帳 暖かい」で検索してみたが、案外蚊帳は暖かいという。確かに蚊が通れないような細かい網だから、風も通さないのだろう。
如行の句は昔の人の知恵だったのだろう。今は新聞紙を防寒着に使うというのがよく言われているが、それに近いものか。
これに対し芭蕉は古人に思いを馳せて感慨を表わす。この古人を引き合いに出すあたりに蕉風確立期の古典回帰があらわれている。
「おくそこもなくて冬木の梢哉
小春に首の動くみのむし
この脇、あたたかなる日のみの虫なり。あるじの貌に客悦のいろを見せたるはたらきを付たる句也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.124~125)
この句は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)では、
奥庭もなくて冬木の梢かな 露川
小春に首の動くみのむし 翁
となっている。元禄四年の句。
葉が落ちた木の向こうには透けて見える結構な庭があるわけでもない、と小さな庭を謙遜して詠んだ発句に対し、蓑虫も喜んで首を出しているよと答える。芭蕉が自分自身を蓑虫に喩え、「客」である芭蕉が「悦のいろを見せ」ている。
0 件のコメント:
コメントを投稿