ようやく涼しくなった。ただまた「猛烈な」勢力の台風が発生している。かなりやばい。
それでは「松風に」の巻の続き。
三十三句目。
肴出す程さけはしみなり
小倉とは向ひ合の下の関 惟然
下関は当時は赤間関とも呼ばれていた。寛文十二年より北前船の寄港地となり、繁栄した。赤間関稲荷町は西鶴の『好色一代男』にも描かれた遊里だった。
対岸の小倉は城下町で、大分雰囲気も違っていたのだろう。
三十四句目。
小倉とは向ひ合の下の関
巳の日の風に人死がある 支考
「巳の日」は弁天様の縁日でお目出度い日だが、この日に何か下関で事件があったのだろうか。よくわからない。壇ノ浦合戦を匂わせているのか。
「人死(ひとじに)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 事故など、病気以外の原因で人が死ぬこと。
※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)「村時雨衆道ぐるひの二道に〈信章〉 人死の恋風さはぐなり〈芭蕉〉」
とある。引用されている俳諧は延宝四年春の「奉納貳百韻」の、「此梅に」の巻に続く、
梅の風俳諧国にさかむなり 信章
を発句とする百韻の六十二句目で、
村時雨衆道ぐるひの二道に
人死の恋風さはぐなり 桃青
の句を指す。病気以外の原因だから刃傷沙汰も含まれるのか。この次の句は、
人死の恋風さはぐなり
大火事を袖行水にふせぎかね 信章
で、明暦の大火を付けている。明暦の大火は、振袖火事とも呼ばれている。
三十五句目。
巳の日の風に人死がある
水くさき千日寺の粥喰て 芭蕉
千日寺はウィキペディアの「千日前」のところに、
「道頓堀の南東に位置し、演芸場や映画館などがある娯楽街になっている。西隣の難波にある法善寺と竹林寺(現在は天王寺区に移転)で千日念仏が唱えられていたことから、両寺(特に法善寺)が千日寺と呼ばれ、その門前であることに由来する。」
とある。
「水くさき」はコトバンクの「水臭い」の「デジタル大辞泉の解説」に、
「[形][文]みづくさ・し[ク]
1 水分が多くて味が薄い。水っぽい。「―・い酒」
2 よそよそしい。他人行儀である。「婚約を隠すような―・いまねはよせ」
とある。2は人間関係の人情の薄いところから来た比喩による意味の拡張と思われる。
『校本芭蕉全集 第五巻』は『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)の「大風に家もくづれ、おびただしき人死に千日の葬礼のすさまじくあるとなり」を引用している。これだと炊き出しのお粥だから薄いということになる。
この年(元禄七年)の五月下旬に
牛流す村のさはぎや五月雨 之道
を発句とする興行があったから、五月に大きな災害があったのかもしれない。
三十六句目。
水くさき千日寺の粥喰て
歯かけ足駄の雪に埋まれ 猿雖
薄いお粥を歯がないからだとした。足駄は雨天用の高下駄。足駄の歯が欠けて雪に埋もれているのと、口の歯が欠けてお粥に埋もれているイメージとを重ね合わせている。
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