2019年10月26日土曜日

 芭蕉の発句集は多いけど、脇を集めた脇集というのは聞いたことがない。ならば作ってみようか。
 句は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)よる。

  芭蕉脇集

延宝四年
   梅の風俳諧国にさかむなり   信章
 こちとうづれも此時の春      桃青

 『桃青三百韻附両吟二百韻』の二百韻の二番目の巻の脇。信章は後の素堂。「こちとうづれも」は「こちとの連れも」の音便化したもの。
 「梅の花」に「春」という単純な付け合いに、俳諧が国に盛んだからこち(芭蕉)と連れ(素堂)もと付ける。談林流の速吟に向いた付け方だ。

   時節嘸伊賀の山ごえ華の雪   杉風
 身は爰元に霞武蔵野        桃青

 杉浦正一郎氏蔵の芭蕉俳諧真蹟懐紙による。『花供養』(天命七年・蘭更編)にもあるという。
 芭蕉が伊賀に旅立つ際の送別の興行であろう。伊賀の山を越える頃には雪でしょうな、という送別の発句に対し、我が身はいつまでもこの霞む武蔵野にあります、と答える。

延宝六年
   物の名も蛸や故郷のいかのぼり 信徳
 あふのく空は百余里の春      桃青

 『桃青三百韻附両吟二百韻』の三百韻のほうにある。信徳の発句は、

   草の名も所によりてかはるなり
 難波の葦は伊勢の浜荻       救済

の句を本歌とし、難波の「いかのぼり」は江戸の「たこ」だとする。信徳は京の人。
 「あふのく」は仰向けになるという意味だが、ここでは仰向けになって見る空は、ということ。江戸から京までは四百キロ以上あるので、京の空は百余里の彼方になる。
 発句の「いかのぼり」に放り込みのように「春」を付けている。

   寶いくつあつらへの夢あけの春
 蓑笠小槌あら玉の空        桃青

 歳旦吟で、発句の作者はわからない。
 正月の宝船には七福神とともにいくつもの宝が乗せられている。脇ではその宝の内容として、打出の小槌や玉とともに、昔は晴れ着の意味もあった蓑笠を加える。後の、

 降らずとも竹植うる日や蓑と笠   芭蕉

は蓑笠が晴れ着であることを示している。

延宝九年
   余興
   附贅一ツ爰に置けり曰ク露   揚水
 無-用の枝を立し犬蘭        桃青

 『俳諧次韻』の巻末の余興の四句の脇。
 発句は『荘子』外編の駢拇篇の、

 「駢拇枝指、出乎性哉、而侈於德。附贅縣疣、出乎形哉、而侈於性。多方乎仁義而用之者、列於五藏哉、而非道德之正也。」

 儒家の言う仁義などは指が生まれつきくっついていたり、生まれながらにイボがあったりするようなもので、余計なものだというわけだ。
 まあ、仁義礼智は本来誰しも生まれ以て身についている孟子の言葉でいえば「四端の心」から生じたものだが、それを概念にして論じようとすると、人それぞれの経験の差異から微妙に意味内容がずれて、結局は議論がかみ合わずに争いになったりする。
 俳諧の句というのもその意味では本来の情を正確に伝えるわけではなく、余計なものといえば余計なものだ。その余計なものを「露」という、と卑下してるのか美化しているのか微妙な言い回しをする。
 芭蕉の脇はそれを受けて、本来枝のない蘭に枝をつけて、これは「犬蘭」とでもいうべきか、と応じる。
 連歌の『菟玖波集』『新撰菟玖波集』に対して、俳諧の祖宗鑑が『新撰犬筑波集』を編纂したところから、「犬」は俳諧のシンボルでもある。卑下しているようでも俳諧への誇りを表わしている。

   市中より東叡山の麓に家を写せし比
   鮭の時宿は豆腐の雨夜哉    信章
 茶にたばこにも蘭のうつり香    桃青

 『下郷家遺片』に記された付け合い。
 東叡山は上野の寛永寺のこと。weblio辞書の「美術人名辞典」に、「北村季吟・松尾芭蕉と親交を深め、のちに上野不忍池畔で隠棲生活に入る。」とある。
 鮭の時分だが豆腐しかないというのは、仏道に精進しているということか。それに対し芭蕉は「茶や煙草にも高貴な蘭の香りがします、豆腐でもかまいませんよ」と返す。

天和二年
   酒債尋常住処有
   人生七十古来稀
   詩あきんど年を貪ル酒債哉   其角
 冬-湖日暮て駕馬鯉         芭蕉

 これは『虚栗』(天和三年、其角編)の其角・芭蕉の両吟歌仙。
 前書きと発句は杜甫の「曲江詩」

   曲江      杜甫
 朝囘日日典春衣 毎日江頭盡醉歸
 酒債尋常行處有 人生七十古來稀
 穿花蛺蝶深深見 點水蜻蜓款款飛
 傳語風光共流轉 暫時相賞莫相違

 朝廷を追われ春の着物を質屋に入れて送る日々
 毎日曲江の畔で酔っぱらって帰るだけだ
 行くところはどこも酒の付けがあって当たり前
 どうせ人生七十過ぎてまで生きることは稀だ
 花の間を舞うアゲハはこそこそしてるし
 水を求めるトンボはわが道を行くかのようだ
 伝えて言う、この眺望よ共に流れてゆく定めなら
 しばらくは違いに目をつぶりお互いを認め合えや

による。
 どうせいつかは死ぬんだから借金など気にせずに酒でも飲んで仲良くやろうじゃないか、とばかり「詩あきんど」つまり詩で生計を立てる者はうだうだ酒飲んでは時間を浪費し、付けが溜まってゆく。
 これに対し芭蕉は、発句の詩あきんども曲江の湖の畔で釣りをしてすごせば、やがて鯉を馬に乗せて帰ると和す。
 鯉は龍になるとも言われる目出度い魚で、これを売って一年の酒債を返しなさいということか。
 まあ其角さんのことだから、結局最後は鯉屋の旦那(杉風)が何とかしてくれるという楽屋落ちの意味があったのだろう。

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