2019年10月15日火曜日

 「あれあれて」の巻の続き。

 十三句目。

   湖水の面月を見渡す
 わき指の小尻の露をぬぐふ也   配刀

 『芭蕉門古人真蹟』は小尻のところが「こじろ」となっていて、「ろ」を消して右に「り」と書いてある。「こじろ」では意味がわからないので、単なる書き間違いか、伊賀では訛ってそう言ってたのかであろう。小尻は刀の鞘の先端で、金具が付いている。
 脇差は武士でなくても持つことができた。『続猿蓑』の「八九間」の巻の九句目に、

   孫が跡とる祖父の借銭
 脇指に替てほしがる旅刀     芭蕉

とあるが、旅をする時に旅刀ではなく脇差をもつこともあり、「道中差」と呼ばれた。
 湖の月を見ているこの人もおそらく旅人であろう。ひんやりとした夜風に脇差の鞘の先端の金具に露が降りる。
 十四句目。

   わき指の小尻の露をぬぐふ也
 相撲にまけて云事もなし     猿雖

 相撲に刀は付き物だったのだろう。『奥の細道』の山中温泉での三吟の四句目にも、

   月よしと角力に袴踏ぬぎて
 鞘ばしりしをやがてとめけり   北枝

とある。判定をめぐってトラブルになれば、脇差を抜くこともあったのだろう。ただ、完敗となれば刀を抜くこともできず、小尻の露を拭うだけ。どこか涙を思わせる。
 今でも相撲の行司は脇差を持っている。差し違えをしたときに切腹するためだといわれているが、最初は喧嘩になった時のために持っていたのではないかと思う。審判に食って掛かるやつは他のスポーツでは普通に見られるし。
 十五句目。

   相撲にまけて云事もなし
 山陰は山伏村の一かまへ     芭蕉

 山伏といえば屈強の男というイメージがある。相撲に負けて相手はどんなやつだと思ったら、山陰の山伏村の山伏だった。それじゃあ仕方ない。
 山伏といえば、『ひさご』の「木のもとに」の巻の十句目にも、

   入込に諏訪の涌湯の夕ま暮
 中にもせいの高き山伏      芭蕉

の句がある。
 十六句目。

   山陰は山伏村の一かまへ
 崩れかかりて軒の蜂の巣     卓袋

 その山伏村は荒れ果てて軒には蜂の巣がそのままになっている。
 十七句目。

   崩れかかりて軒の蜂の巣
 焼さして柴取に行庭の花     土芳

 『芭蕉門古人真蹟』は「花盛真柴をはこぶ」と書いて、「花盛」を消して右に「焼(たき)さして」と書き、「焼さして真柴をはこぶ花」とまで書いて、「花」を消して下に庭の花とし、「真」と「をはこぶ」を消して右に「取に行」とする。
 複雑だが、

 花盛真柴をはこぶ
 焼さして真柴をはこぶ花
 焼さして真柴をはこぶ庭の花
 焼さして柴取に行庭の花

の順だったと思われる。
 花の定座なので最初に「花盛」とし、荒れた家に「真柴をはこぶ」と付けたが後が続かず、花を後に持ってきて「焼(たき)さして」の上五を置いたのだろう。
 火をつけようとして真柴をはこぶという意味で、崩れかかった家の生活感を描き出す。そしてそこに花ということで、おそらく花盛り、花の庭などと考えて「庭の花」に落ち着いたのだろう。
 「焼さして真柴をはこぶ庭の花」でも良さそうなものだが、「真柴をはこぶ」の四三のリズムが今ひとつだったか、最終的に「焼さして柴取に行庭の花」で治定ということになる。
 十八句目。

   焼さして柴取に行庭の花
 こへかき廻す春の風筋      芭蕉

 花に春風は付き物で、前句が田舎の景色ということで糞(こへ)の匂いを付ける。
 『炭俵』の「むめがかに」の巻の十九句目にも、

   門で押るる壬生の念仏
 東風々(こちかぜ)に糞(こへ)のいきれを吹まはし 芭蕉

の句がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿