「あれあれて」の巻の続き。
十三句目。
湖水の面月を見渡す
わき指の小尻の露をぬぐふ也 配刀
『芭蕉門古人真蹟』は小尻のところが「こじろ」となっていて、「ろ」を消して右に「り」と書いてある。「こじろ」では意味がわからないので、単なる書き間違いか、伊賀では訛ってそう言ってたのかであろう。小尻は刀の鞘の先端で、金具が付いている。
脇差は武士でなくても持つことができた。『続猿蓑』の「八九間」の巻の九句目に、
孫が跡とる祖父の借銭
脇指に替てほしがる旅刀 芭蕉
とあるが、旅をする時に旅刀ではなく脇差をもつこともあり、「道中差」と呼ばれた。
湖の月を見ているこの人もおそらく旅人であろう。ひんやりとした夜風に脇差の鞘の先端の金具に露が降りる。
十四句目。
わき指の小尻の露をぬぐふ也
相撲にまけて云事もなし 猿雖
相撲に刀は付き物だったのだろう。『奥の細道』の山中温泉での三吟の四句目にも、
月よしと角力に袴踏ぬぎて
鞘ばしりしをやがてとめけり 北枝
とある。判定をめぐってトラブルになれば、脇差を抜くこともあったのだろう。ただ、完敗となれば刀を抜くこともできず、小尻の露を拭うだけ。どこか涙を思わせる。
今でも相撲の行司は脇差を持っている。差し違えをしたときに切腹するためだといわれているが、最初は喧嘩になった時のために持っていたのではないかと思う。審判に食って掛かるやつは他のスポーツでは普通に見られるし。
十五句目。
相撲にまけて云事もなし
山陰は山伏村の一かまへ 芭蕉
山伏といえば屈強の男というイメージがある。相撲に負けて相手はどんなやつだと思ったら、山陰の山伏村の山伏だった。それじゃあ仕方ない。
山伏といえば、『ひさご』の「木のもとに」の巻の十句目にも、
入込に諏訪の涌湯の夕ま暮
中にもせいの高き山伏 芭蕉
の句がある。
十六句目。
山陰は山伏村の一かまへ
崩れかかりて軒の蜂の巣 卓袋
その山伏村は荒れ果てて軒には蜂の巣がそのままになっている。
十七句目。
崩れかかりて軒の蜂の巣
焼さして柴取に行庭の花 土芳
『芭蕉門古人真蹟』は「花盛真柴をはこぶ」と書いて、「花盛」を消して右に「焼(たき)さして」と書き、「焼さして真柴をはこぶ花」とまで書いて、「花」を消して下に庭の花とし、「真」と「をはこぶ」を消して右に「取に行」とする。
複雑だが、
花盛真柴をはこぶ
焼さして真柴をはこぶ花
焼さして真柴をはこぶ庭の花
焼さして柴取に行庭の花
の順だったと思われる。
花の定座なので最初に「花盛」とし、荒れた家に「真柴をはこぶ」と付けたが後が続かず、花を後に持ってきて「焼(たき)さして」の上五を置いたのだろう。
火をつけようとして真柴をはこぶという意味で、崩れかかった家の生活感を描き出す。そしてそこに花ということで、おそらく花盛り、花の庭などと考えて「庭の花」に落ち着いたのだろう。
「焼さして真柴をはこぶ庭の花」でも良さそうなものだが、「真柴をはこぶ」の四三のリズムが今ひとつだったか、最終的に「焼さして柴取に行庭の花」で治定ということになる。
十八句目。
焼さして柴取に行庭の花
こへかき廻す春の風筋 芭蕉
花に春風は付き物で、前句が田舎の景色ということで糞(こへ)の匂いを付ける。
『炭俵』の「むめがかに」の巻の十九句目にも、
門で押るる壬生の念仏
東風々(こちかぜ)に糞(こへ)のいきれを吹まはし 芭蕉
の句がある。
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