「松風に」の巻の続き。
四十一句目。
こぼれて生る軒の花げし
朝夕の茶湯ばかりを尼の業 猿雖
「茶湯(ちゃとう)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「仏前や霊前に供える煎茶湯。禅家では忌日などに仏前に供える茶と湯をいう。さとう。」
とある。
前句の花芥子の生える軒を尼僧の住む庵とする。
四十二句目。
朝夕の茶湯ばかりを尼の業
飼ば次第に牛の艶つく 雪芝
尼と牛は「牛に引かれて善光寺参り」の縁か。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《信心のない老婆が、さらしていた布を角にかけて走っていく牛を追いかけ、ついに善光寺に至り、のち厚く信仰したという話から》思ってもいなかったことや他人の誘いによって、よいほうに導かれることのたとえ。」
とある。
老婆は出家して尼になったが、老婆を連れてきた牛はどうなったのかはよくわからない。その牛は老婆に飼われたのかもしれない。
江戸後期になると牛は善光寺に着くと姿を消し、実は観音様だったという落ちがつく。
四十三句目。
飼ば次第に牛の艶つく
枯もせずふとるともなき楠の枝 卓袋
牛と楠の枝は四国八十八箇所霊場の第四十二番札所の佛木寺の起源となる弘法大師のエピソードによるものか。ウィキペディアに、
「大同2年(807年)空海(弘法大師)がこの地で牛を牽く老人に勧められて牛の背に乗って進むと、唐を離れる際に有縁の地を求めて東に向かって投げた宝珠が楠の大樹にかかっているのを見つけた。そこで、この地が霊地であると悟り楠木で大日如来を刻んで、その眉間に宝珠を埋め、堂宇を建立して開創したという。牛の背に乗ってこの地に至ったというところから家畜守護の寺とされている。」
とある。
仏様になった楠は枯れることもないし、育って太くなることもない。
四十四句目。
枯もせずふとるともなき楠の枝
月見にいつも造作せらるる 支考
前句を庭の楠として、月見の邪魔になるのでいつも造作(面倒なこと)をさせられる。
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