月も大分膨らんできたが、十三夜の頃には台風が来るのか。
香港ではたくさんの人が命を張って戦ってくれている。それにひきかえ、自分にできることって何だろうか。せいぜい中国の手先のようなマスコミや左翼の口車に乗らないことくらいか。あとは、まだ自由があるうちにこの俳話を書き続けることか。
そう言いながらも遅々として進まないが、とりあえず「松風に」の巻の続き。
二裏。
三十七句目。
歯かけ足駄の雪に埋まれ
漸に今はすみよるかはせ銀 望翠
前句を貧乏な状態とし、漸(ようや)く為替を銀に交換する事ができたとする。「すみよる」は「済み寄る」。
為替取引は直接金銀を送金することの手間やリスクを省くために作り出されたもの。金銀銭の交換比率は変動相場で動いていたので、安く買って高く売れば儲けることができたのは今のFXと同じ。
三十八句目。
漸に今はすみよるかはせ銀
加減の薬しつぱりとのむ 芭蕉
『校本芭蕉全集 第五巻』は『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)の、
「これも例の人情世態なり。金銀の取りまはしにこころづかひして、癪気(シャクキ)をなやめる人と見たり。かはせ銀の事の長引て段々と手間どりたるが、やうやうとすみよりたるなり。かかる身の上の人は年中薬のむさま、まことにしかりなり。」
を引用している。
まあ、相場というのは今の言葉だと「胃が痛くなる」ものだ。
「しっぱり」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「[副]
1 木の枝などがたわむさま。また、その音を表す語。
「柳に雪降りて枝もたはむや―と」〈浄・吉岡染〉
2 手落ちなく十分にするさま。しっかり。
「たたみかけて切りつくるを、―と受けとめ」〈浄・滝口横笛〉
3 強く身にこたえるさま。
「あつつつつつつつ。―だ、―だ」〈滑・浮世風呂・三〉」
とある。しっかりと、きちんと飲むというほどポジティブでもなく、仕方なしに、それでも飲まなあかんな、というニュアンスがあったのだろう。
三十九句目。
加減の薬しつぱりとのむ
渋紙をまくつて取れば青畳 支考
「渋紙」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、
「柿渋(かきしぶ)で加工した和紙。柿渋は古くは柿油ともいって、晩夏のころに青柿より絞り取る。この生渋(なましぶ)を半年以上置くとさらに良質の古渋になるが、成分はシブオールというタンニンの一種で、これを和紙に数回塗布することによって耐水性ができ、じょうぶになる。江戸時代には紙衣(かみこ)、合羽(かっぱ)、敷物、荷札、包み紙などに広く使用された。また、捺染(なっせん)の型紙も渋紙の一種である。とくに渋とべんがら(紅殻・弁柄)を混ぜたものは、雨傘の「渋蛇の目(しぶじゃのめ)」の塗料とされた。[町田誠之]」
とある。
新しい家には畳を守るために渋紙が敷かれていて、それを捲り上げると青々とした畳が目に眩しい。これもきちんと薬を飲んで頑張ってきた結果だが、逆に言えば屋敷に住んでももう先がない。
一生懸命働いて一財産を築いても、それを使う間もなく死んでゆく人というのは結構いるものだ。何のために生きているのか、考えさせられる。
黄ばんだ畳でも俳諧を楽しむ人もいる。
四十句目。
渋紙をまくつて取れば青畳
こぼれて生る軒の花げし 卓袋
これは向え付けか。畳みは新しくなったが、藁葺き屋根の軒は古いままで、芥子の花が咲いている。
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