2019年10月28日月曜日

 いつの間にか季節は変り冬になっていた。今日は旧暦十月一日。まだ気温は二十度を越えているが。
 オリンピックのマラソンがいきなりIOCの決定で札幌に変更とかいっているが、こういうのを開催地に無断で決めていいことなのか、いろいろ問題は残るだろう。
 アスリートの健康の問題は確かにわかる。夏の甲子園だって、あんな炎天下でやる必要があるかどうかは疑問だ。ただ、時期の変更ならわかるが、場所を変更するとなると、今後暑い地域でのスポーツの大会が困難になるのではないか。カタールもオリンピックを招致しようとしているが、カタールには札幌のような場所はない。今後オリンピックは涼しい限られた国だけで行われるようになるのか。
 今やフランスだって四十五度の猛暑で、ヨーロッパ全体が暑くなっている。他のスポーツにも影響を与えれば、スポーツのできる国が限られてしまうのではないか。
 一九六四年の東京オリンピックは十月にやったのに、何で今回は夏になってしまったのか、そのことも最初から引っかかっていた。
 それでは芭蕉脇集。

貞享二年
   われもさびよ梅よりおくの藪椿 雅良
 ちやの湯に残る雪のひよ鳥     芭蕉

 『野ざらし紀行』の旅の途中、伊賀で年を越し二月まで滞在した時の句。
 藪椿は自生する椿のこと。梅の華やかさに較べて、濃緑の葉の中に埋もれるように咲く椿は地味だ。私もこんな風に静かに暮らしたいという発句に、静かに茶の湯を立てながら、灰色の地味なヒヨドリを雪の上に見る、と返す。
 「われもさびよ」に同意し、寂びた景色を添える。季語は「残る雪」で春になる。ヒヨドリだけだと秋。
 椿は茶の湯の席で茶花として用いられることが多く、茶の木自体もツバキ科ツバキ属で椿の仲間でもある。椿に近いものでサザンカがあるが山の茶花と書く。椿は茶の湯に縁がある。

   我桜鮎サク枇杷の広葉哉    秋風
 筧に動く山藤の花         桃青

 同じく『野ざらし紀行』の旅の途中、京の三井秋風の別墅、花林園を尋ねた時の句。
 発句の意味はわかりにくいが、桜はまだ咲いてないが、枇杷の広葉のような鮎の開きの一夜干を桜に見立てて、今日の宴を始めましょうということか。
 それに対し、芭蕉は泉の水を引いてきた筧(懸樋)に山藤の花も咲いてます、と返す。
 秋風は風流人だが金持ちで、料理にはこだわりがあったのだろう。そこに山藤の花もきれいですよと、やや諌めた感じがする。

   梅絶て日永し桜今三日     湖春
 東の窓の蚕桑につく        桃青

 これも三井秋風の花林園での句か。
 梅の花は終わり桜にはまだあと三日くらい先か、という発句に春蚕の飼育も始まっていると付ける。

   つくづくと榎の花の袖にちる  桐葉
 独り茶をつむ藪の一家       芭蕉

 三月下旬、熱田での七吟歌仙興行の発句と脇。
 榎の花も地味な花で、こういう花はやはり茶花に用いるのだろう。藪椿の句と同様、茶を付ける。

   夏草よ吾妻路まとへ五三日   若照
 かさもてはやす宿の卯の雪     芭蕉

 鳴海の知足亭での句。
 江戸に帰ろうとする芭蕉に、夏草よ、吾妻路に絡まって足止めしてくれという発句に対し、卯の花が雪のようで、笠(旅に欠かせない)が必要ですね、と答える。

   涼しさの凝くだくるか水車   清風
 青鷺草を見越す朝月        芭蕉

 六月二日。『野ざらし紀行』の旅から戻り、少ししてからの小石川での興行。出羽尾花沢の清風を迎え、其角、嵐雪、才丸、素堂、コ齋などが揃い、百韻を巻く。清風は『奥の細道』の旅のときに尋ねてゆくが、忙しくてなかなか会ってもらえなかった。
 水車が涼しさを細かく砕いて撒いてくれてるようだ、という清風の発句に、青鷺が草越しに朝の月を見ていると水辺の景を添える。

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