2019年10月25日金曜日

 今日も『三冊子』の続き。芭蕉の脇について。

  「市中は物の匂ひや夏の月
  あつしあつしと門々の聲
 此脇、匂ひや夏の月、と有を見込て、極暑を顕して見込の心を照す。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.125)

 これは『猿蓑』の歌仙の脇だ。元禄三年六月、凡兆宅での興行になる。発句は凡兆で、それに芭蕉が脇を付ける。
 市中の物の匂いも暑さもあまり有難いものではない。市場の匂いにも夏の月があればと見込む発句に対し、芭蕉も極暑のなかで夏の月があればと見込む、というのが土芳の解釈だ。
 ただ、芭蕉はこの頃から脇を形式ばった挨拶にする事に疑問を感じていたのだろう。それは後の「蛍迯行」と同じで、それまでの脇句の常識だと、夏の月が出たのだから、それに対し「涼しい」と付けて主人を持ち上げるものだったところを、あえて「いやー、それにしても暑い」と本音で返す所に新味があったのではないかと思う。
 ただ、この「あつしあつし」も発句の「物の匂いや」に同意しているわけだから、失礼にはならない。同意しながらともに「夏の月」の有難さがあればと見込む意味では、土芳の解釈も当を得ている。

  「いろいろの名もまぎらはし春の草
  うたれて蝶の目をさましぬる
 此脇は、まぎらはしといふ心の匂に、しきりに蝶のちり乱るる様思ひ入て、けしきを付たる句也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.125)

 これは『ひさご』の歌仙で、芭蕉は脇のみの参加。前半は珍碩(後の洒堂)と路通の両吟、後半は荷兮と越人の両吟になる。元禄三年の興行で「市中は」の巻の三ヶ月前になる。発句は珍碩。
 元禄三年刊の『ひさご』では、

  いろいろの名もむつかしや春の草 珍碩
   うたれて蝶の夢はさめぬる   芭蕉

になっているが、享保二十年刊の別版『ひさご』には、土芳が引用した形で収められている。土芳の言う方が初案と言われている。
 発句の名前のよくわからない春の草(今なら名もなき雑草というところだろう)に対し、まず「うたれて」と来るわけだが、これは「畑打つ」のことだろうか。
 「うたれて蝶の目をさましぬる」だと、雑草が掘り起こされて、底に止まって休んでいた蝶は夢から醒めて飛び立つわけで、土芳が言うように「しきりに蝶のちり乱るる様思ひ入て、けしきを付たる句」になる。
 ただ、蝶の目を覚ますという所に『荘子』の胡蝶の夢の連想が働くと、これは蝶が飛び立つと同時に、自分自身もはっと打たれたように夢から醒めて元の自分に戻ることになる。「うたれて蝶の夢はさめぬる」の形だと、よりその寓意がはっきりする。
 寓意を表に出すのか裏に隠すのか、これは『去来抄』の「大切の柳」にも通じることなのかもしれない。裏に隠すのが正解なら、元禄版の『ひさご』の方が初案で、享保版『ひさご』や『三冊子』の方が改案だったのかもしれない。
 なお、この歌仙の十八句目が、

   しほのさす縁の下迄和日なり
 生鯛あがる浦の春哉      珍碩

の句が挙句っぽいので、最初半歌仙を巻いて、荷兮と越人が後から付け足したか。

  「折々や雨戸にさはる萩の聲
  はなす所におらぬ松むし
 この脇、発句の位を思ひしめて、匂よろしく事もなく付たる句也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.125)

 この句は『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)では元禄七年の夏で、

  折々や雨戸にさはる萩の聲
   放す所におらぬ松蟲

とある。元禄七年八月九日附の去来宛書簡に記されている。「あれあれて」の巻の時に引用した「しぶしぶの俳諧」の書簡だ。発句は雪芝だという。
 発句の雨戸に萩の枝が触れるような田舎の小さな家から、そこに住む人の位で付けたということか。松虫を捕まえたものの、可哀相になって放してあげる、そういう心やさしい住人ということなのだろう。

   あれあれて末は海行野分哉
 靍の頭を上る粟の穂       芭蕉

の脇も、鶴をお目出度いものという寓意で用いずに、あえて「常体の気色」で用いるところなど、やはり晩年の脇の体といえよう。
 芭蕉の脇に言及した部分はこれで終わりになり、ここから先は普通の付け句になる。

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