豚コレラが日本でもじわじわと入ってきている。
中国では一億頭以上の豚が死んだともいわれている。イスラム教徒は正しかったのかもしれない。
二〇三〇年にはひょっとしたらオリンピックと豚肉は消えているのかもしれない。これも世の移ろいか。
それはともかく芭蕉脇集の続き。貞享三年の脇は少ない。ただ、そこには単なる寓意を込めた挨拶のやり取りから抜け出そうという意欲が感じられる。
貞享三年
深川は菫さく野も野分哉 風瀑
はるのはたけに鴻のあしあと 芭蕉
貞享三年春、深川芭蕉庵での芭蕉、風瀑、一晶、琴蔵、虚洞による五吟一巡(五句のみ)興行の脇。
発句の「野分」は本当に強い風が吹いていたのか、それとも、
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな 芭蕉
を基にして、世に吹き荒れる芭蕉旋風を野分に喩えたか。
「ばしょうのわき」を変換しようとしたら「芭蕉の脇」になったが、それも掛けているのかもしれない。
芭蕉の脇は菫咲く野を春のまで作物を植えてない畑とし、そこにはコウノトリの足跡が付いている。コウノトリと鶴はしばしば混同されていて、ここでは風瀑をコウノトリに喩えたか。
風瀑は伊勢の人で『野ざらし紀行』の旅で伊勢を訪れた時に、「松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋ね音信て、十日計足をとどむ。」とあるようにお世話になっている。
その時の芭蕉の伊勢参宮は野分のさ中だったのか、
みそか月なし千とせの杉を抱あらし 芭蕉
と詠んでいる。その時の思い出もあってのやり取りであろう。芭蕉は嵐を呼ぶ男なのか。
夕照
蜻蛉の壁を抱ゆる西日かな 沾荷
潮落かかる芦の穂のうへ 芭蕉
貞享三年秋に興行されたと思われる、芭蕉、露沾、沾荷、嵐雪による四吟三歌仙の脇。
発句の「蜻蛉」はここでは「とんぼう」と読む。蜻蛉にとんぼ、あきつ、かげろうの三つの読み方がある事は、古文の受験勉強の時に習った。
発句は、
真萩散る庭の秋風身にしみて
夕日の影ぞかべに消え行く
永福門院(風雅集)
を本歌としたものか。壁は比喩で、一面の草原を壁に見立てている。
沾荷の発句はトンボがその草原を抱え込むかのようにトンボが留まっているとする。夕照の美しい景色に、トンボの足の仕草がよく捉えられているが、本歌が今となっては忘れ去られてしまったため、意味のとりにくい発句となってしまったのが残念だ。
芭蕉はその壁を葦原とし、海辺の風景とする。これはトンボ=秋津から秋津島=豊葦原の瑞穂の国を連想したか。深川芭蕉庵での興行であれば、海も近い。
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