2019年11月4日月曜日

 昨日は南相馬から飯舘村を通って霊山に行った。今年は紅葉が遅いが、それでも流石にここまで来れば多少は色づいていた。去年は妙義山だったが、今年は随分北まで来た。
 飯舘の雪っ娘かぼちゃはほくほくして美味しかった。
 それでは芭蕉脇集、貞享四年の続き。

   しろがねに蛤をめせ夜の鐘   松江
 一羽別るる千どり一群       芭蕉

 発句の松江についてはよくわからない。
 十吟一巡の興行で、ともに鹿島詣でをした曾良が第三を詠んでいる。
 銀をはたいてでも桑名の蛤は食った方が良いということか。もちろんその銀は松江さんからの餞別であろう。
 それに対し芭蕉は千鳥の群から一羽だけ別れて旅立つという比喩で返す。

   時雨時雨に鎰かり置ん草の庵  挙白
 火燵の柴に侘を次人        芭蕉

 これも挙白からの餞別句に芭蕉が脇を付けて返したもの。このあと溪石、コ齋、其角、嵐雪、トチらが句を連ね、十句興行にする。
 これから時雨の季節になるけど、芭蕉庵の鍵を預り守っていきたい、という発句に、私の代わりに火燵(炬燵)の火に柴をくべて、侘びて過ごしてくれるのでしょうか。と返す。
 挙白は後の元禄二年に『奥の細道』の旅に出る芭蕉に、

 武隈の松みせもうせ遅桜      挙白

の句を餞別に送っている。挙白は東北の出身の商人で、一度は名取川の橋杭にするために切られてしまった武隈の松が復元されているのを知っていて、あれを見せてあげたい、と詠んでいる。

   はせをの翁を知足亭に訪ひ侍りて
   めづらしや落葉のころの翁草  如風
 衛士の薪を手折冬梅        芭蕉

 『笈の小文』の旅に出た芭蕉が、十一月四日には尾張鳴海の知足亭に到着し、翌日には七吟歌仙興行が行われ、如風も出席している。その如風の如意寺如風亭での七吟歌仙興行の時の句。
 発句は、芭蕉が翁と呼ばれているところから、この落ち葉の季節に翁草とは珍しい、とする。
 翁草は通常はキンポウゲ科の多年草のことで、春に花をつけるが、松や菊の別名でもある。長寿を象徴する植物なら翁に喩えられることもあったのだろう。
 芭蕉はこの季節はずれの翁草を梅のこととする。風流に縁のなさそうな衛士が梅を折ったので珍しいと思ったら、薪にしただけだった。
 翁草なんてものではありません。狂い咲きの梅の花です、と謙虚のようでいて、風流でないものには価値のわからないという寓意で、自分の価値を主張している。

   芭蕉翁もと見給ひし野仁を訪らひ、
   三川の国にうつります。所ハ伊羅古
   崎白波のよする渚ちかく、ころは
   古枯の風頭巾を取る。旅のあハれ
   を帰るさに聞て
   やき飯や伊羅古の雪にくづれけん 寂照
 砂寒かりし我足の跡        芭蕉

 芭蕉が『笈の小文』の旅で、伊良胡から鳴海にもどり、十一月十六日に知足亭で越人も交えて表六句が巻かれる。
 焼き飯は今日のチャーハンではなく、焼きおにぎりに近い携帯食で、それを持って伊良胡を旅してが、寒さに形も崩れてしまったでしょう、という発句に、冷たい砂の上に足跡を残してきました、と返す。

   荷兮子翁を問来て
   幾落葉それほど袖も綻びず   荷兮
 旅寝の霜を見するあかがり     芭蕉

 十一月十八日。名古屋から荷兮・野水が知足亭にやってくる。芭蕉、寂照を交えた四句が残っている。
 『野ざらし紀行』の旅で『冬の日』をともに巻いた頃から、幾たびも落ち葉が落ちましたが、袖は綻びていません、要するに俳諧のほうは劣化してません、という発句に芭蕉は、そうですか、こちらは霜の中を旅してあかぎれがひどいのですが、と答える。

   同じ月末の五日の日名古や荷兮宅
   へ行たまひぬ。同二十六日岐阜の
   落梧といへる者、我宿をまねかん
   事を願ひて
   凩のさむさかさねよ稲葉山   落梧
 よき家続く雪の見どころ      はせを

 『笈の小文』の旅で十一月二十六日、岐阜の落梧と蕉笠が荷兮方へやってきて、荷兮、野水、越人などを含めた八吟歌仙興行が行われる。
 稲葉山は今の岐阜の金華山のことで、ここにあった稲葉山城は齋藤道三や織田信長がいたことでも有名だが、慶長六年(一六〇一)廃城になる。
 城は今の岐阜市南部の加納に移転し、加納藩になる。この頃は松平光永の時代だった。
 そういうわけで稲葉山は木枯らしが吹くだけの何もない山だった。ただ、岐阜は松平家によってよく治まっていて、芭蕉も「よき家続く雪の見どころ」と岐阜の地を称える。

   芭蕉老人京までのぼらんとして
   熱田にしばしとどまり侍るを訪
   ひて、我名よばれんといひけん
   旅人の句をきき、歌仙一折
   旅人と我見はやさん笠の雪   如行子
 盃寒く諷ひさふらへ        はせを

 十二月一日、熱田桐葉亭へ戻り、大垣の如行と三吟半歌仙が巻かれる。
 芭蕉が旅立つ時の、

 旅人と我名よばれん初しぐれ    芭蕉

の句を聞いた如行が、芭蕉に「旅人」と見はやさん、と詠む。その笠の雪を見れば、どう見ても旅人でしょう、というわけだ。本当に芭蕉のことを「旅人」と呼んだのかな。
 これに対し芭蕉は、謡曲『猩々』の謡のイメージだったのか、実際には寒いけど、

 シテ「吹けども吹けども」
 地 「更に身には寒むからじ」
 シテ「理りやしら菊の」
 地 「理りやしら菊の 着せ綿を温めて酒をいざや酌もうよ」

とばかりに謡おうではないか、と返す。

0 件のコメント:

コメントを投稿