2019年11月25日月曜日

 未だに日本と韓国は兄弟のようなものだとか双子のようなものだとか言う人がいるが、日韓同祖論がかつて韓国併合を正当化する支柱とされてきた歴史をどう見ているのだろうか。
 日本と韓国はむしろ真逆と言ってもいい。日本人は江南系の民族で、長江文明の徒でもあった。漢民族に圧迫されて四散し、東の海に逃れたものが日本人となったが、そのほかのものは雲南省からベトナム、ラオス、タイ、ビルマなどの山岳地帯の少数民族として残っている。
 これに対して韓国人は北方から来た騎馬民族の新羅人を中心として成り立っている。むしろ新羅に圧迫された百済人や高句麗人の方が日本人に近い。新羅人は日本人からすれば最も遠い。
 言語的にも、文法は確かに似ているが基幹となる語彙はまったく異なる。父さん母さんはアポジ、オモニで全然似てないし、数の数え方も、ひいふうみいよいつむとハナトルセンネータソヨソとまったく違う。日本語と韓国語が似ているように見えるのは漢語が共通しているからだ。
 まあ、同じものを学んでもしょうがない。違うものを学ぶからお互いに文化の幅が広がるのだと思う。
 西洋の人も、西洋かぶれの日本人の解説する「俳句」より、日本の論理で読む俳諧のほうが役に立つのでは。
 それでは「鳶の羽も」の巻の続き。

 二十五句目。

   隣をかりて車引こむ
 うき人を枳穀垣よりくぐらせん   芭蕉

 枳穀垣(きこくがき)はカラタチに生垣のこと。2018年7月24日の俳話でも触れているが、棘のある木は防犯効果もあるので、生垣によく用いられた。
 来て欲しくない人が通ってきたので、隣に車を止めさせて枳穀垣をくぐらせてやろうか、というものだが、それくらいしてやりたいということで実際にはしないだろうな。
 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)に、

 「からたちの垣よりくぐらせて、からきめ見せんと女のするさま也。御車をば隣の人にたのみて引入おく意に前句をみる也。」

とある。
 二十六句目。

   うき人を枳穀垣よりくぐらせん
 いまや別の刀さしだす       去来

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)などは落人をかくまい、枳穀垣より逃がすことだとしている。
 『猿みのさかし』(樨柯坊空然著、文政十二年刊)は『源平盛衰記』の、

 いそぐとて大事のかたな忘れては
     おこしものとや人の見るらん
              遊女
 かたみにもおひてこしものそのままに
     かへすのみこそさすがなりけり
              景季

の歌を引用している。
 大体そういう場面と見ていいのだろう。
 二十七句目。

   いまや別の刀さしだす
 せはしげに櫛でかしらをかきちらし 凡兆

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)などは木曾義仲の俤としている。巴御前との別れのことか。
 二十八句目

   せはしげに櫛でかしらをかきちらし
 おもひ切たる死ぐるひ見よ     史邦

 前句をあきらめたくてもあきらめきれずに狂乱状態にある女とする。
 ただ、現実には未練たらしいのは男のほうで、女の方が思い切るのが早いことが多いが。いずれにせよ苦しいものだ。

 うらやましおもひ切時猫の恋   越人

の句もある。
 二十九句目。

   おもひ切たる死ぐるひ見よ
 青天に有明月の朝ぼらけ     去来

 青天は夜明け前の濃い青の空のこと。青雲はその頃の雲で、「八九間」の巻の二十二句目のところで述べた。
 苦しい別れといえば後朝(きぬぎぬ)ということで、有明月の景を添えて場面転換を図る。
 三十句目。

   青天に有明月の朝ぼらけ
 湖水の秋の比良のはつ霜     芭蕉

 比良は琵琶湖西岸の山地で、比叡山より北になる。
 月に湖水、朝ぼらけに初霜と四つ手に付けている。そろそろ終わりも近いので、このあたりは景色の句で軽く流しておきたい所だろう。
 琵琶湖に月といえば元禄七年の「あれあれて」の巻の十二句目、

   頃日は扇子の要仕習ひし
 湖水の面月を見渡す       木白

も思い起こされる。

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