「桜を見る会」(桜が見に来る会ではなかった)に出席したという元山口組系ののヤクザというのは、ネットで調べたが、新澤良文という奈良県高取町の町議会議員だそうだ。ヤクザだったのは昔の話で、とっくに足を洗った人の古傷を蒸し返して大騒ぎしている。
あと、反グレとかいうのはshimamotoshojiという人らしい。ブログは既に削除されていて、何者かはよくわからないから、本当に反グレかどうかも不明。
前夜祭は参加者が直接ホテルニューオータニに料金を払い、領収書を切っていたというから、これは開いている部屋で臨時のバイキング店を開業したようなもので、お金は参加者とホテルの間でしか動いていない。
東京新聞はビールも料理も貧弱で五千円は暴利だとの参加者の声を伝えていたし、久兵衛の寿司が出たというのもフェイクニュースだった。
まあ、野党もマスコミも今一つ攻め切れてないな。そんなことより香港やウイグルのことで何もしていないことや、習近平を国賓として招待していることなど、いくらでも安倍政権の弱点はあると思うのだが。こっちの方は放置しておくと、やがて日本が国際社会から叩かれる事態になりかねない。
他にも温暖化対策や原発再稼動など、突っ込みどころはたくさんある。でもまあ、野党のスキャンダル頼みなのは日本だけではないか。アメリカの民主党もごたごたしているから、大統領選挙の時には国民民主と立憲民主に分裂してたりして。
さて、霜月に入ったけど小雨の降る鬱陶しい日が続いている。
俳諧のほうもちょっと気分を変えて、非蕉門系の言水の独吟でも読んでみようかと思う。
『元禄俳諧集』(新日本古典文学大系71、一九九四、岩波書店)に掲載されている『新撰 都曲(みやこぶり)』(言水編、元禄三年刊)所収の独吟歌仙で、発句は言水の代表作でもある、
凩の果はありけり海の音 言水
だ。
言水は奈良の生まれで、延宝の頃は江戸に出てきていて芭蕉(当時は桃青)とも交流があった。天和二年に京都に移っている。
凩(こがらし)は木から木へと吹きすさび、その名のとおり木を枯らしてゆく。そして最後は海へと出て、後はどこへ行くのか誰も知らない。
木枯らしは放浪者の比喩でもある。風来坊などと放浪者は風に喩えられる。芭蕉も「風羅坊」を名乗り、自らを「狂句木枯し」と称し「放浪のやぶくす師竹斎」になぞらえた。そのさすらう者も海に行く手を阻まれれば、そこで引き返すことになる。
ただ、実際は「湖上眺望」という前書きの真蹟短冊があるらしく、本来は琵琶湖の景色を詠んだものだった。木枯らしも越えられないほどこの琵琶湖は巨大だという意図だったのか。
この句はすぐに有名になり、「木枯らしの言水」と呼ばれるようになったというから、元禄七年の、
あれあれて末は海行野分哉 猿雖
の句にもこの句の影響はあったのだと思う。
この凩の句に、言水自ら脇を付ける。
凩の果はありけり海の音
漂泠の火きえてさむき明星 言水
「漂泠」は「みを」と読む。澪標(みをつくし)のこと。ウィキペディアには、
「澪標は川の河口などに港が開かれている場合、土砂の堆積により浅くて舟(船)の航行が不可能な場所が多く座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪との境界に並べて設置され、航路を示した。同義語に澪木(みおぎ)・水尾坊木(みおぼうぎ)などがある。」
とある。夜はそこに火を灯し、灯台の役割を果たしていた。
明け方になるとその火も消え、空には明けの明星が輝く。発句の海の音に海浜をさすらう旅人の朝に旅立つ様を付ける。海を越えることなく引き返す所に、海が「果て」になっている。
第三。
漂泠の火きえてさむき明星
碁にかへる人に師走の様もなし 言水
明け方の海にたたずむ人を碁打ちとする。この時代は本因坊道策の活躍によって囲碁ブームが起きていた。漁師の間でも碁が流行っていたか。
おそらく負けて茫然自失で家路についたのだろう。そこでは世間の師走のあわただしさも他所事のようだ。
四句目。
碁にかへる人に師走の様もなし
又梅が香に調ぶ膝琴 言水
膝琴は膝に乗せて弾く古琴のことか。
前句を世俗の師走のあわただしさとは無縁な貴族か何かとする。正月前に既に咲いた寒梅を前に琴をたしなむ。
五句目。
又梅が香に調ぶ膝琴
ゆふぐれは狐の眠る朧月 言水
この狐は玉藻前のような美女に化けた狐だろうか。
六句目。
ゆふぐれは狐の眠る朧月
春辺よながれ次第なる船 言水
狐はここでは本物で、春の野辺のどこかで眠っている。そこを流れに任せて下ってゆく舟がある。
このあたりのやや浮世離れした風流が、蕉門の卑近な笑いの世界とは違う所だ。
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