2019年11月20日水曜日

 今朝は下弦の月が見えた。もうじき神無月も終わり。
 新暦十一月はまだ俳諧を読んでないので、そろそろかな。ということで、『猿蓑』の古典的名作、「鳶の羽も」の巻を読んでみようかと思う。
 『連歌俳諧集』(日本古典文学全集32、一九七四、小学館)や『校本芭蕉全集第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)、それに『芭蕉連句古注集 猿蓑編』(雲英末雄編、一九八七、汲古書院)と参考になる本も多い。

発句。

 鳶の羽も刷ぬはつしぐれ    去来

 「刷ぬ」は「かいつくろひぬ」と読む。「も」はこの場合「力も」で、特に何かと比較してということではないと思う。『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には「人も蓑笠に刷ふと、ひびかせたる也」とあるが、そこまで読んでも読まなくてもいい。
 時雨の後の情景で、鳶が濡れた羽を繕うというところに、安堵感のようなものを感じればそれでいいのだと思う。
 時雨というと、

 世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇

の句もあり、冷たい時雨はそれを逃れた時に逆にぬくもりを感じさせる。
 興行開始の挨拶としても、「いやあ、時雨も止みましたな、それでは俳諧をはじめましょう」ということだと思う。とくに鳶の姿が見えたとか、そういうことではなかったと思う。
 脇。

   鳶の羽も刷ぬはつしぐれ
 一ふき風の木の葉しづまる   芭蕉

 発句が時雨の後の情景なので、それに答えるべく風も吹いたけど今は静まっている、と付ける。前句の安堵感に応じたもので、響き付けといえよう。『猿簔箋註』(風律著か、明和・安永頃成)の「かいつくろいぬに、しづまると請たり。」でいいと思う。
 土芳の『三冊子』には、

 「木の葉の句は、ほ句の前をいふ句也。脇に一あらし落葉を乱し、納りて後の鳶のけしきと見込て、発句の前の事をいふ也。ともにけしき句也。」

とある。「ほ句の前」というのは、一ふき風の木の葉もしずまったので、鳶の羽も刷ぬという意味。
 発句と脇との会話という点では、

 「いやあ、時雨も止みましたな、鳶の羽もかいつくろってることでしょう、それでは俳諧をはじめましょう。」
 「そうですね、木の葉を一吹きしていた風もおさまったことですし。」

というところか。
 「木の葉」は今は木の葉っぱ全般を指すが、古くは落ち葉のことを言うものだった。湯山三吟の発句に、

 うす雪に木葉色こき山路哉   肖柏

の用例がある。薄雪の白とのコントラストで地面に散った落ち葉がの色が濃く見える。強いて寓意を持たすなら、それが集まった三人の歳を経て、なおも頑張って色を見せている姿に重なり合うということか。
 第三。

   一ふき風の木の葉しづまる
 股引の朝からぬるる川こえて  凡兆

 夕暮れの情景から朝に転じる。股引(ももひき)を濡らすというのは、膝くらいまでの浅い川を渡るということだろう。
 『奥の細道』の冒頭の部分に「もゝ引ひきの破れをつゞり笠の緒付かえて」とあるように、風の止んだ静かな朝早く、浅川を越える旅人と見るのがいいだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「人倫に転ず。旅体なり。」とある。
 四句目。

   股引の朝からぬるる川こえて
 たぬきををどす篠張の弓    史邦

 「篠張の弓」というのは篠竹で作った簡単な弓で、多分そんな殺傷力はなくて、脅かす程度のものだったのだろう。
 狸はそんな恐い生き物ではないので、本来は熊除けで、弓を鳴らしながら歩いたのではないかと思う。
 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)や『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)は狼を除けるものとしている。それがあまりに粗末な弓なので、狸程度しか脅せないなというところに俳諧があるといっていいのだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「山畠かせぐ男と見なして、肩に懸たる品をいへり。」とある。前句の股引を旅人ではなく農夫と見ている。
 五句目。

   たぬきををどす篠張の弓
 まいら戸に蔦這かかる宵の月  芭蕉

 「まいら戸(ど)」は「舞良戸」と書く。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、

 「2本の縦框(たてかまち)の間に狭い間隔で横桟(よこさん)を渡し,それに板を打ちつけた引戸をいう。主として外まわり建具として用いられた。この形式の戸は平安時代の絵巻物にすでに描かれているが,当時は〈遣戸(やりど)〉と呼ばれていた。舞良戸の語源は明らかでなく,またその語が使用されるのも近世に入ってからである。寝殿造の外まわり建具は蔀戸(しとみど)が主で,出入口にのみ妻戸(つまど)(扉)が使われていた。遣戸の発生は両者より遅れ,寝殿の背面などの内向きの部分で使われはじめたがしだいに一般化し,室町時代に入ると書院造の建具として多く用いられるようになる。」

とある。書院造りは武家屋敷か立派なお寺を連想させるが、蔦這かかるとなれば、既に廃墟と化している。
 月夜に豪邸に招かれて、酒池肉林の宴をしていると、誰かが篠弓を掻き鳴らしながらやってきて、すると魔法が解けたかのように本来の廃墟に戻ってしまう。さては狸に化かされたか、そんな物語が浮かんでくる。
 『猿蓑付合考』(柳津魚潜著、寛政五年一月以降成)には、「昔は富貴也ける住、荒て狐狸の類ひも徘徊すれば、今宵はと篠竹に弓の形ヲこしらへ侍るにや。」とある。
 六句目。

   まいら戸に蔦這かかる宵の月
 人にもくれず名物の梨     去来

 古註の多くが『徒然草』の第十一段を引いている。

 「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
 かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。」

 山奥に住む粗末な庵にさぞや心ある人だろうとおもって庭を見ると、大きな蜜柑の木にいっぱい実がなっているのに、周りを厳重に囲って盗まれないようにしているのを見て、どこにでもいる俗人かとがっかりする話だ。
 本説で付ける場合は、元ネタと少し変えて付ける。
 ここでは、前句の「まいら戸」を凋落したお寺とし、そこに月も出ていれば、そこに住む人もどんな風流人かと思うところだが、実際には名物の梨も出してくれないケチな人でがっかりした、というところだろう。

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