今日は久しぶりに晴れた。夕暮れの空には三日月が見えた。今日は霜月の三日。
それでは「凩の」の巻の続き。
初裏。
七句目。
春辺よながれ次第なる船
伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡 言水
「水の淡」は「水の泡」で、この言葉はしばしば和歌にも詠まれている。
水の泡の消えでうき身といひながら
流れてなほもたのまるるかな
紀友則(古今集)
思ひ川たえずながるる水のあわの
うたかた人に逢はで消えめや
伊勢(後撰集)
『古今集』の仮名序にも「草の露、水の泡を見てわが身をおどろき」とある。
川に生じてはすぐに消えて行く水の泡の儚さは、人生にも喩えられるし、恋にも喩えられる。
伊賀と伊勢が接する加太のあたりは分水嶺で、ここに降った雨は鈴鹿川になれば伊勢へと流れ、柘植川になれば伊賀を経てやがて木津川になり、淀川に合流して大阪まで流れる。
雨で生じた水の泡も流れ次第でどこへ行くかわからない。人生はそんな流れを行く船のようなものというところか。
八句目。
伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡
田に物運ぶ嫁身すぼらし 言水
水の泡といえば、田舎に住む百姓の嫁の物を運ぶやつれた姿か。
九句目。
田に物運ぶ嫁身すぼらし
面白や傾城連て涼むころ 言水
嫁は苦労しているというのに旦那は傾城連れていいご身分。『伊勢物語』の筒井筒からの発想か。
本説や俤ではなく、現代に移し変えて換骨奪胎するのは、談林的な手法だ。
十句目。
面白や傾城連て涼むころ
蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣 言水
遊郭で遊ぶのは楽しいけど、ついついはまってお金をつぎ込んで、後が恐いもの。それを蜘蛛の巣にかかる蝉に喩える。
十一句目。
蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣
しごけども紅葉は出ぬ夏木立 言水
「しごく」は「扱(こ)く」から来た言葉で、ここではむしるという意味だろう。
茂る葉をいくらむしってみても、夏に紅葉した葉っぱどこにもない。夏の蝉がなく頃には、やがて紅葉する景色もない。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉
の句は元禄三年の句だからまだ言水はまだ知らなかっただろう。蝉もいつしか死んでゆくように、夏木立もいつしか紅葉して落葉になる。
十二句目。
しごけども紅葉は出ぬ夏木立
四十かぞへて跡はあそばん 言水
昔は四十歳は初老で、これくらいの歳で隠居する事が多かった。まだ元気なうちに隠居して、後は遊んで暮らそう。
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