2019年11月29日金曜日

 今日は久しぶりに晴れた。夕暮れの空には三日月が見えた。今日は霜月の三日。
 それでは「凩の」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   春辺よながれ次第なる船
 伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡   言水

 「水の淡」は「水の泡」で、この言葉はしばしば和歌にも詠まれている。

 水の泡の消えでうき身といひながら
     流れてなほもたのまるるかな
                紀友則(古今集)
 思ひ川たえずながるる水のあわの
     うたかた人に逢はで消えめや
                伊勢(後撰集)

 『古今集』の仮名序にも「草の露、水の泡を見てわが身をおどろき」とある。
 川に生じてはすぐに消えて行く水の泡の儚さは、人生にも喩えられるし、恋にも喩えられる。
 伊賀と伊勢が接する加太のあたりは分水嶺で、ここに降った雨は鈴鹿川になれば伊勢へと流れ、柘植川になれば伊賀を経てやがて木津川になり、淀川に合流して大阪まで流れる。
 雨で生じた水の泡も流れ次第でどこへ行くかわからない。人生はそんな流れを行く船のようなものというところか。
 八句目。

   伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡
 田に物運ぶ嫁身すぼらし     言水

 水の泡といえば、田舎に住む百姓の嫁の物を運ぶやつれた姿か。
 九句目。

   田に物運ぶ嫁身すぼらし
 面白や傾城連て涼むころ     言水

 嫁は苦労しているというのに旦那は傾城連れていいご身分。『伊勢物語』の筒井筒からの発想か。
 本説や俤ではなく、現代に移し変えて換骨奪胎するのは、談林的な手法だ。
 十句目。

   面白や傾城連て涼むころ
 蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣    言水

 遊郭で遊ぶのは楽しいけど、ついついはまってお金をつぎ込んで、後が恐いもの。それを蜘蛛の巣にかかる蝉に喩える。
 十一句目。

   蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣
 しごけども紅葉は出ぬ夏木立   言水

 「しごく」は「扱(こ)く」から来た言葉で、ここではむしるという意味だろう。
 茂る葉をいくらむしってみても、夏に紅葉した葉っぱどこにもない。夏の蝉がなく頃には、やがて紅葉する景色もない。

 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

の句は元禄三年の句だからまだ言水はまだ知らなかっただろう。蝉もいつしか死んでゆくように、夏木立もいつしか紅葉して落葉になる。
 十二句目。

   しごけども紅葉は出ぬ夏木立
 四十かぞへて跡はあそばん    言水

 昔は四十歳は初老で、これくらいの歳で隠居する事が多かった。まだ元気なうちに隠居して、後は遊んで暮らそう。

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