先日の大嘗祭に二十七億円の税金が使われたことで、いろいろ言われている。まあ、これを機に皇室行事をやめろだとか、そもそも皇室なんて要らないだとか言う人にいい様に利用されたりしがちだが、ただ秋篠宮さまも懸念していたことでもあるし、もっといいやり方はないものかとは思う。
二十七億のうち十九億七千万はこの儀式だけに使って後は使い捨ての大嘗宮の建設費・解体費だという。これはやはりもったいない。
大嘗宮は十一月二十一日から十二月八日まで一般公開されるが、これは有料でもよかったのではなかったか。期間も西洋のクリスマス休暇の時期まで延長すれば、外人観光客も呼べたのではなかったか。解体した後の材料も、お守りやグッズにして売れるのではないか。
大体公務員に仕事させるとどうしたって無駄が多いものだ。経済感覚がなく、見栄のために余計な金を使いがちになる。次回はイベント会社に入札させて、民間に委託した方がいいのではないか。放映権なんかも売れるのではないか。
MOTTAINAIは今や世界の言葉。大嘗祭もったいなくも大嘗祭。
それでは芭蕉脇集の続き。
元禄七年
両吟
五人ぶち取てしだるる柳かな 野坡
日より日よりに雪解の音 芭蕉
元禄七年春の野坡、芭蕉両吟歌仙興行の脇。野坡との両吟は「梅が香に」の巻の方が『炭俵』に採用され、「五人ぶち」の方は発句のみの入集となった。
「五人ぶち」は扶持(ふち)という給与のことで、一人一日五合の米を一年分というのが一人扶持だった。五人扶持は家族が何とか生活していけるだけの最低賃金といったところか。
野坡は越後屋両替店の手代だったというから、自分のことを自嘲気味に詠んだ句だったかもしれない。柳の木もほっそりしたもので、とてもじゃないが八九間とはいかなかっただろう。「しだるる」というところにも、いかにも力のなさが感じられる。
これに対し、芭蕉は日に日に雪も解けて何よりですと、野坡のこれからの出世を暗示させる。そののち番頭にまで登りつめたともいわれている。
水音や小鮎のいさむ二俣瀬 湖風
柳もすさる岸の刈株 芭蕉
これも春の興行で、六吟半歌仙になっている。
「水音は小鮎のいさむや」の倒置で、何で勇んでいるのかというと、二俣瀬で両方からやってきた鮎が縄張り争いをするからだという落ちになる。
鮎は縄張り意識が強く、侵入者には容赦なく体当たりを食らわす。それを利用したのが鮎の友釣りだ。実際に釣られているのは友ではなく敵なのだが。
鮎の争いに対して芭蕉の脇は柳もすさる、今の言葉だとドン引きというところか。柳は切り株だけ残してどこかへ行ってしまった。
ふか川にまかりて
空豆の花さきにけり麦の縁 孤屋
昼の水鶏のはしる溝川 芭蕉
元禄七年の四月、芭蕉庵での四吟歌仙興行で、この巻は『炭俵』に採られている。
以下、二〇一七年一月十八日の俳話と重複するが、ご容赦を。
初夏は麦秋ともいわれ、麦の穂が稔り、葉は枯れ、あたかも晩秋の田んぼのようになる。ソラマメもまた春から初夏にかけて、白と濃い紫とのコントラストのある、可憐な花をつける。
「まかりて」は田舎に下る時の言い回しであり、都に上るときには「まうでて」となる。
この発句は都を離れて田圃を尋ねる句であり、芭蕉を陶淵明のような田園の居に隠棲する隠士に見立ての句だ。
これに対して芭蕉は珍しいお客を迎えたことの寓意としてクイナを引き合いに出す。
クイナは水田などに住むが、夜行性でなかなか人前に姿を表わさない。そのクイナが昼間に姿を表わしたということで、この興行の来席者の寓意としている。溝川は芭蕉庵に近い小名木川のことか。
餞別
新麦はわざとすすめぬ首途かな 山店
また相蚊屋の空はるか也 芭蕉
五月十一日には芭蕉は再び上方方面へと旅に出る。そしてこれが最後の旅になる。これはその直前の両吟歌仙興行の脇になる。これとは別に「紫陽花や藪を小庭の別座敷 芭蕉」を発句とした五吟歌仙興行も行われていて、こちらの方は二〇一七年の六月十六日から六月二十六日までの俳話を参照のこと。
新麦はここでは大麦のことと思われる。麦飯に用いられる。そのまま焚いて食べる分には、やはり取れたてがいい。小麦は熟成を必要とする。新麦では粘りが足りない。
発句は、ここで新麦のご飯をすすめてしまうと、もっと食べたくなって旅に出るのをやめてしまいかねないから、という意味だろう。
脇はこれからの旅を想像してのもので、相蚊屋というのは庵に同居して芭蕉の身の回りの世話をしていた二郎兵衛少年を連れていくから、ともに同じ蚊帳の中に寝ることになるというもの。少年が出たところで余計な想像はしないように。
なお、旅立ちの時に品川宿で詠んだ句は、
麦の穂を力につかむ別れ哉 芭蕉
で、やはり麦が気になっていたか。
やはらかにたけよことしの手作麦 如舟
田植とともにたびの朝起 芭蕉
東海道を登る途中、この年は大雨で大井川が増水し、しばらく島田宿の如舟の所に逗留する。これはその時の句。
ここでどうやら柔らかい新麦の麦飯を食うことができたようだ。これに対し芭蕉は田植のころだからみんな早起きするので、川止めで宿にいても朝早く起されてしまう、とその時の状況を付ける。ぼやきとも取れるが、発句と合わせれば、朝早くから美味しい麦飯が食えるという意味だとわかる。
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