今日は満月だが寒月だとか凍月だとかいうほど寒くはない。
昼ごろは強い風も吹いたが木枯らしのような身を切る寒さはない。やはり暖かい。
それでは芭蕉脇集の続き。
元禄五年
名月や篠吹雨の晴をまて 濁子
客にまくらのたらぬ虫の音 芭蕉
八月十五日、名月の夜、大垣藩邸勤番の門人らとの五吟歌仙興行の脇。
発句の「篠吹」は、
今宵誰すず吹く風を身にしめて
吉野の嶽の月を見るらむ
従三位頼政(新古今集)
から来ているとすれば「すずふく」で、すずたけ(篠竹)のこと。
この発句は「名月は篠吹雨の晴をまてや」の倒置だが、頼政の歌を踏まえてるとして読むなら、篠吹く風だけでなく雨まで降っているが、晴れるのを待てば身に染みる名月を見るだろう、という意味になる。
これに対して芭蕉は、たくさんお客さんが来て、雨が止んで名月が見られるのを待っているというのに、枕が足りませんな、と答える。
月代を急ぐやふなり村時雨 千川
小松のかしらならぶ冬山 芭蕉
冬の芭蕉庵での八吟十六句興行の脇。未完なのか花の句がなかったのを、江戸後期の車蓋編『桃の白実』では丈草の十七句目の花の句と千川の挙句が付け加えられている。
発句の「月代」はここでは「さかやき」ではなく「つきしろ」で、月の出の前に東の空が白むこと。暗くなってから月が出るので、十月の満月より後の興行か。
時雨が晴れた時の月は感動的だが、時雨が晴れてもまだ月代だから、もっと早く登ってきてほしいものだと急かしたくなる。句では村時雨が月の出を急かしているようだとするが、急かしているのは人間の方だろう。
芭蕉の脇はその月が登る山の景色を描く。
ひょっとしたら誰か遅刻した人がいて、みんな待っているという寓意があったのかもしれない。
水鳥よ汝は誰を恐るるぞ 兀峰
白頭更に芦静也 芭蕉
これも十月の同じ頃、江戸勤番の備前岡山藩士、兀峰(こっぽう)を芭蕉庵に迎えての四吟歌仙興行の脇。途中から里東が抜けて其角が参加しているが、同じ日なのか日を変えてなのか、事情はよくわからない。
発句は、
水鳥のしたやすからぬ思ひには
あたりの水もこほらざりけり
よみ人しらず(拾遺集)
によるものか。「やすからぬ思ひ」を誰かを恐れているとする。ここに集まっているのは風流の徒で、あんたらを射たりはしないから安心せよ、ということか。
芭蕉の脇の「白頭更に」は杜甫の『春望』の「白頭掻けば更に短く」で、ここにいるのは年寄りだから水鳥も安心して、芦も静かだとなる。
深川の草庵をとぶらひて
寒菊の隣もありやいけ大根 許六
冬さし籠る北窓の煤 芭蕉
これも同じ十月頃で許六、芭蕉、嵐蘭が一句づつ詠み、第三で終っている。
土芳の『三冊子』には、
「此脇、同じ家の事を直に付たる也。内と外の様子也。煤の字有て句とす。」
とある。
許六の「寒菊の」の句は『俳諧問答』にも登場し、
「翁の論じて云ク、世間俳諧するもの、此場所ニ到て案ずるものなしと称し給ふ。」
とある。
いけ大根は土に埋めて保存する大根で、寒菊の隣には大根も埋まっている。冬の花の孤独に咲く姿は寓意もあり、春を待つ冬大根もその寓意に寄り添う。
これに対しての芭蕉の脇は、寒菊といけ大根の外の景色に対し、さし籠る部屋の北窓には火を焚いた煤がこびりついてゆく、と受ける。「さし籠る」は「鎖し籠る」で引き籠るに同じ。
「煤の字有て句とす」というのは、ここに春までの時間の経過が感じられ、いけ大根の春を待つ情に応じているからだろう。
寓意を弱くして、発句の情を受けながらも、前と後、内と外と景を違えて付けるのが、芭蕉の晩年の脇の風だったのだろう。
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