「鳶の羽も」の巻の続き。
初裏。
七句目。
人にもくれず名物の梨
かきなぐる墨絵おかしく秋暮て 史邦
前句の「人にもくれず」をケチなのではなく、人がよりつかないという意味に取り成したのだろう。
一人閉じこもって墨絵を書き殴りながら暮らす隠士は、今だったら引きニートなどといわれそうだが(引きニートもネットで絵など書いて公開してたりする)、昔は世俗のかかわりを絶つのを聖なる行動と解釈していた。
秋は暮れてゆくけど梨はくれない、というのがいちおう洒落になっている。
八句目。
かきなぐる墨絵おかしく秋暮て
はきごころよきめりやすの足袋 凡兆
メリヤスはウィキペディアに、
「日本では編み物の伝統が弱く、17世紀後半の延宝 - 元禄年間(1673年 - 1704年)に、スペインやポルトガルなどから靴下などの形で編地がもたらされた。そこで、ポルトガル語やスペイン語で「靴下」を意味するポルトガル語の「メイアシュ」(meias)やスペイン語の「メディアス」(medias)から転訛した「メリヤス」が、編み物全般を指すようになった。「莫大小」という漢字は、伸縮性があり「大小がない」こととする説がある。主に、武士が殿中に出仕する際の足袋を作る技法として一部武士から庶民にも広まった。」
とある。
まあ、当時の流行のネタと言えよう。墨絵をたしなむ風流人はここでは引きニートではなく立派な武士で、流行にも敏感なできる男だったのだろう。
九句目。
はきごころよきめりやすの足袋
何事も無言の内はしづかなり 去来
無言だと静かなのは当たり前のことで、要するに喋りだすとうるさくてしょうがないことを逆説的に言ったのだろう。
うっかり足袋のことに触れたりすると、際限なく薀蓄を語られそうだ。
十句目。
何事も無言の内はしづかなり
里見え初て午の貝ふく 芭蕉
前句の「無言」を無言行を修ずる修験者に取り成す。
『猿簔箋註』(風律著か、明和・安永頃成)には、
「前を峰入の行者など見さだめて、羊腸をたどり、人里を見おろす午時の勤行終わりしさまと見えたり。又柴灯といふ修法ありて、無言なりとぞ。午の時に行終りて下山する時、貝を吹なり。」
とある。
無言行の時は静かだが、終ればほら貝を吹く。
十一句目。
里見え初て午の貝ふく
ほつれたる去年のねござしたたるく 凡兆
古註は寝茣蓙の持ち主が貝を吹く修験者なのか里の農民なのかで割れているようだ。
ここは貧しい修験者として、寝茣蓙がほつれた上にじめじめしていて寝てられないので、里に出てきたのではないかと思う。
『七部十寸鏡猿蓑解』(天堂一叟著、安政四年以前刊)の、「前を山家と見て、貧家体を付たり。寝ござのしたたるくは、やぶれて取所なきさま也。」でいいのではないかと思う。
十二句目。
ほつれたる去年のねござしたたるく
芙蓉のはなのはらはらとちる 史邦
寝茣蓙も古くなればほつれて湿気を吹くんでゆくように、芙蓉も時が経てばはらはらと散ってゆく。どちらも無常を感じさせるという所で響きで付いている。
『七部十寸鏡猿蓑解』(天堂一叟著、安政四年以前刊)にも、「去年のねござの敗たると言るに、うるはしき芙蓉も落花するといへる観想のたぐらへ付也。此芙蓉は、蓮也と諸註に言り。いかにも、木芙蓉は、しぼみてはらはらと散姿なし。」とある。
ここでいう芙蓉はアオイ科フヨウ属の芙蓉ではなく蓮の別名のようだ。ウィキペディアにも、
「『芙蓉』はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には『木芙蓉』(もくふよう)とも呼ばれる。」
とある。
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