2019年11月9日土曜日

 今日は神無月の十三夜で、アーモンドのような月が見える。家の前には狸が来ていた。証城寺ではないが、浮かれ出てきたのか。
 神様はみんな出雲に行ってしまって留守だけど、神社は七五三で賑わい、新天皇は大嘗祭の儀式を行う。新暦になってから日本の神様は重ね合わせの状態になってしまっている。十月十三日で出雲にいるのと同時に、十一月九日として各神社にいる。神は量子だったか。
 冗談はそれくらいにして、芭蕉脇集の続き。

元禄三年

   いろいろの名もむつかしや春の草 珍碩
 うたれて蝶の夢はさめぬる     芭蕉

 元禄三年刊の『ひさご』の所収の歌仙で、芭蕉は脇のみの参加。
 土芳の『三冊子』には、

   いろいろの名もまぎらはし春の草
 うたれて蝶の目をさましぬる

の形で、「此脇は、まぎらはしといふ心の匂に、しきりに蝶のちり乱るる様思ひ入て、けしきを付たる句也。」とある。
 以下、十月二十五日の俳話と同じになるが‥‥。
 発句の名前のよくわからない春の草(今なら名もなき雑草というところだろう)に対し、まず「うたれて」と来るわけだが、これは「畑打つ」のことだろうか。
 「うたれて蝶の目をさましぬる」だと、雑草が掘り起こされて、底に止まって休んでいた蝶は夢から醒めて飛び立つわけで、土芳が言うように「しきりに蝶のちり乱るる様思ひ入て、けしきを付たる句」になる。
 ただ、蝶の目を覚ますという所に『荘子』の胡蝶の夢の連想が働くと、これは蝶が飛び立つと同時に、自分自身もはっと打たれたように夢から醒めて元の自分に戻ることになる。「うたれて蝶の夢はさめぬる」の形だと、よりその寓意がはっきりする。
 寓意を表に出すのか裏に隠すのか、これは『去来抄』の「大切の柳」にも通じることなのかもしれない。裏に隠すのが正解なら、元禄版の『ひさご』の方が初案で、享保版『ひさご』や『三冊子』の方が改案だったのかもしれない。

   市中は物のにほひや夏の月   凡兆
 あつしあつしと門々の声      芭蕉

 元禄三年六月、京都の凡兆宅での去来を加えた三吟歌仙興行の脇。元禄四年刊の『猿蓑』に収録されることになる。
 これも土芳の『三冊子』に、「此脇、匂ひや夏の月、と有を見込て、極暑を顕して見込の心を照す。」とある。
 以下、十月二十五日の俳話と重複するが、市中の物の匂いも暑さもあまり有難いものではない。市場の匂いにも夏の月があればと見込む発句に対し、芭蕉も極暑のなかで夏の月があればと見込む、というのが土芳の解釈だ。
 ただ、芭蕉はこの頃から脇を形式ばった挨拶にする事に疑問を感じていたのだろう。それは後の「蛍迯行」と同じで、それまでの脇句の常識だと、夏の月が出たのだから、それに対し「涼しい」と付けて主人を持ち上げるものだったところを、あえて「いやー、それにしても暑い」と本音で返す所に新味があったのではないかと思う。
 ただ、この「あつしあつし」も発句の「物の匂いや」に同意しているわけだから、失礼にはならない。同意しながらともに「夏の月」の有難さがあればと見込む意味では、土芳の解釈も当を得ている。

   灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆
 あぶらかすりて宵寝する秋     芭蕉

 元禄三年八月下旬、膳所での興行か。凡兆、芭蕉、野水、去来の四吟歌仙で、元禄四年刊の『猿蓑』に収録される。

 灰汁(あく)は染色の際の媒染液で、椿や榊を燃やした灰を水で溶いた上澄を用いる。染料につけた布を灰汁に浸して干した時、雫しずくが灰汁桶にぽとぽと垂れ、その雫の音も止むころには日も暮れ、コオロギの声が聞こえてくる。「きりぎりす」はかつてはコオロギのことだった。
 この発句に対し、芭蕉は「あぶらかすりて」、つまり行灯の油も底を尽きたということで、仕方ない、まだ宵の口だがもう寝るか、と付ける。
 発句が興行開始の頃の状況を詠んだだけの句で、特に寓意もないし、芭蕉の脇も興行の開始とは関係なく宵寝してしまっている。
 景を添えるという連歌の時代の脇の原点に返ったような句で、これ以降こういう脇が多くなる。

   鳶の羽も刷ぬはつしぐれ    去来
 一ふき風の木の葉しづまる     芭蕉

 「刷ぬ」は「かひつくろひぬ」と読む。元禄三年十一月、京都での芭蕉、去来、凡兆、史邦による四吟歌仙で、これも『猿蓑』に収められることになる。
 鳶が時雨に濡れた羽をつくろっているという発句は、当座の興ではなく、それに風が一吹きした後木の葉も静かになる景を付ける。いずれも寓意は感じられない。時雨の後の羽繕いに風の後の静まる木の葉と響きで付けている。

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