2019年11月5日火曜日

 そういえば一昨日相馬中村神社に寄ったら、神使の馬がいなくなっていて、厩舎も荒れ果てていた。何があったのだろうか。
 まあ、それはともかく、芭蕉脇集の続き。

貞享五年

   かへし
   時雨てや花迄残るひの木笠   園女
 宿なき蝶をとむる若草       芭蕉

 貞享五年二月、芭蕉が『笈の小文』の旅で伊勢滞在中、園女のもとに招かれたときの句。

   園女亭
 暖簾の奥もの深し北の梅      芭蕉
   松散りなして二月の頃     園女

に対する返しとして園女が発句を詠み、芭蕉が脇を付けている。
 「時雨てや」はやはり旅立ちの頃の「旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉」の句を踏まえたもので、いくたび時雨にあっても檜笠は朽ちることなく、花の季節でもそのままだ、という意味になる。これに対し芭蕉の脇は、時雨や笠の興には付けずに、時分を宿なき蝶に喩え、園女を若草に喩える。

   ところどころ見めぐりて、洛に
   暫く旅ねせしほど、みのの国より
   たびたび消息有て、桑門己百のぬ
   しみちしるべせむとて、とぶらひ
   来侍りて、
   しるべして見せばやみのの田植歌 己百
 笠あらためむ不破のさみだれ    芭蕉

 芭蕉が『笈の小文』の旅を終え、京に行った時の句。己百は岐阜の妙照寺の住職。土芳の『三冊子』には、「此脇、名所を以て付たる句也。心は不破を越る風流を句としたる也。」とある。
 「美濃の田植歌へとご案内しましょうか」という発句に対し、「それじゃあ不破の関の五月雨に備えて笠を新しくしましょう」と答える。
 実際に芭蕉はこのあと岐阜へ行き「十八楼ノ記」を書き記している。

   どこまでも武蔵野の月影涼し  寸木
 水相にたり三またの夏       芭蕉

 六月十七日、岐阜の長良川にも近い三ツ又で名古屋の荷兮、越人なども交え、六吟表六句を巻く。
 発句は江戸で成功を収めた芭蕉を武蔵野の月に喩え、どこまでも涼しいと称える。
 これに対し芭蕉はこの三ツ又の地が深川に似ている、と答える。

   茄子絵
   見せばやな茄子をちぎる軒の畑 惟然
 その葉をかさねおらむ夕顔     芭蕉

 同じく六月、惟然が芭蕉の元を訪れ、入門する。
 茄子の絵を見ての吟だったか。即興で農家の身に成り代わって詠んだのだろう。
 これに芭蕉は、うらぶれた軒端の風景から『源氏物語』の夕顔の家を思い浮かべたか。茄子の大きな葉を重ねて扇を作り、その上に夕顔を折ってのせてみよう、と返す。

   雁がねも静にきけばからびずや 越人
 酒しゐならふこの比の月      芭蕉

 芭蕉は岐阜から越人を連れて『更科紀行』の旅に出、そのまま八月下旬に江戸に戻る。そして九月中旬に越人と両吟歌仙を巻く。これはその時の句。
 「からびる」には萎れる、古びて落ち着いた感じになる、声がしゃがれるといった意味がある。どれでも当てはまりそうだ。
 雁の声も静かに聴けば、萎れることもなく声も澄んで、古びて落ち着いた感じになる(この場合だけ反語になる)。
 これに対し芭蕉は、酒を勧められることにも慣れたな、と返す。両吟で、長くともに旅をした間柄だからだろう。無理にお世辞で返すのではなく、自然体で返す。

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