そういえば一昨日相馬中村神社に寄ったら、神使の馬がいなくなっていて、厩舎も荒れ果てていた。何があったのだろうか。
まあ、それはともかく、芭蕉脇集の続き。
貞享五年
かへし
時雨てや花迄残るひの木笠 園女
宿なき蝶をとむる若草 芭蕉
貞享五年二月、芭蕉が『笈の小文』の旅で伊勢滞在中、園女のもとに招かれたときの句。
園女亭
暖簾の奥もの深し北の梅 芭蕉
松散りなして二月の頃 園女
に対する返しとして園女が発句を詠み、芭蕉が脇を付けている。
「時雨てや」はやはり旅立ちの頃の「旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉」の句を踏まえたもので、いくたび時雨にあっても檜笠は朽ちることなく、花の季節でもそのままだ、という意味になる。これに対し芭蕉の脇は、時雨や笠の興には付けずに、時分を宿なき蝶に喩え、園女を若草に喩える。
ところどころ見めぐりて、洛に
暫く旅ねせしほど、みのの国より
たびたび消息有て、桑門己百のぬ
しみちしるべせむとて、とぶらひ
来侍りて、
しるべして見せばやみのの田植歌 己百
笠あらためむ不破のさみだれ 芭蕉
芭蕉が『笈の小文』の旅を終え、京に行った時の句。己百は岐阜の妙照寺の住職。土芳の『三冊子』には、「此脇、名所を以て付たる句也。心は不破を越る風流を句としたる也。」とある。
「美濃の田植歌へとご案内しましょうか」という発句に対し、「それじゃあ不破の関の五月雨に備えて笠を新しくしましょう」と答える。
実際に芭蕉はこのあと岐阜へ行き「十八楼ノ記」を書き記している。
どこまでも武蔵野の月影涼し 寸木
水相にたり三またの夏 芭蕉
六月十七日、岐阜の長良川にも近い三ツ又で名古屋の荷兮、越人なども交え、六吟表六句を巻く。
発句は江戸で成功を収めた芭蕉を武蔵野の月に喩え、どこまでも涼しいと称える。
これに対し芭蕉はこの三ツ又の地が深川に似ている、と答える。
茄子絵
見せばやな茄子をちぎる軒の畑 惟然
その葉をかさねおらむ夕顔 芭蕉
同じく六月、惟然が芭蕉の元を訪れ、入門する。
茄子の絵を見ての吟だったか。即興で農家の身に成り代わって詠んだのだろう。
これに芭蕉は、うらぶれた軒端の風景から『源氏物語』の夕顔の家を思い浮かべたか。茄子の大きな葉を重ねて扇を作り、その上に夕顔を折ってのせてみよう、と返す。
雁がねも静にきけばからびずや 越人
酒しゐならふこの比の月 芭蕉
芭蕉は岐阜から越人を連れて『更科紀行』の旅に出、そのまま八月下旬に江戸に戻る。そして九月中旬に越人と両吟歌仙を巻く。これはその時の句。
「からびる」には萎れる、古びて落ち着いた感じになる、声がしゃがれるといった意味がある。どれでも当てはまりそうだ。
雁の声も静かに聴けば、萎れることもなく声も澄んで、古びて落ち着いた感じになる(この場合だけ反語になる)。
これに対し芭蕉は、酒を勧められることにも慣れたな、と返す。両吟で、長くともに旅をした間柄だからだろう。無理にお世辞で返すのではなく、自然体で返す。
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