2019年1月30日水曜日

  安倍首相が施政方針演説で韓国を無視したと言うが、別に安倍首相だけでなく野党も一貫して無視しているのではないかと思う。そこが韓国の計算違いだったのか。普通だったらここぞとばかりに韓国側に立って首相を糾弾しそうなのだが、なぜか厚労省の方に専念している。
 多分国防省の公開した動画に対して、それを覆すだけのインパクトのある証拠を韓国が提示できなかったため、野党も韓国側に立とうにも立てないのだろう。だから動画を安倍が公開させたという所に突っ込むばかりだ。あの動画はそれだけ利いているということだ。
 まあ、政治ネタはそれくらいにして、『俳諧問答』の続き。

 「おそらくハ向後予が句、仕損の場所ならでハ一句もあるまじ、きき給へと高言を放ツ。
 予あやふきつり合ハさぐりあてたりといへ共、心中仕損まじき心あくまであり。此一言に寄て、仕損ずる所を決定せり。
 于時
 人先に医者の袷や衣がへといふ句、即時ニいひ出す。師掌を打て云ク、奇なる哉奇なる哉、是也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.96)

 これから仕損ないを恐れない句なんて一句もないぞ、と強がってはみても、やはり仕損じたらどうしようという気持ちは消えない。とりあえず仕損じてもいいという感じで詠んだ句が、

 人先に医者の袷や衣がへ

だった。一見仕損じた様子はないが。
 人より先に医者の袷(あはせ)が衣更えする。
 「袷」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「裏をつけて仕立てたきもののこと。表と裏との布地の間に空気層をつくって保温効果を高めた。着用時期は単 (ひとえ) と綿入れの中間期。昭和初頭以来一般に綿入れを着用しなくなったが,江戸時代はきものには着る時節の定めがあり,袷は4月1日のころもがえから5月5日の端午の節供前日まで,それ以後は単となり,9月1日から9日の重陽の節供前日まで再び袷を着た。」

とある。
 そういうわけで四月一日になると昔は一斉に綿入れから袷に変えたわけだが、医者が「人先に」というのはどういうことだったのか。
 当時の人なら多分すぐ分かる「あるある」だったのだろう。
 仮に医者が三月にフライングして袷を着ていたというなら、衣更の句なのに春の句になり仕損じということになる。それで、芭蕉も仕損じだけど面白いと思って手を打ったということは考えられる。

 「俳諧の底、此句にてぬけたり。一言下に大悟するものハあれ共、一言下に句をするものハなしと、感じられたり。
 此句、秀たる句ニあらずといへ共、血脈の正敷所より出て、第一衣更に気をよく付て、人の及ばざる所を感ぜられたり。
 其角ニ語れバ、晋子もよくききつけて、気のよく付たる所を感じ、則句兄弟ニ可入とて書付たり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.96~97)

 「底をぬく」というのは、いわばタブーに挑戦するという意味だったの

かもしれない。たとえば、

 霜月や鸛の彳々ならびゐて    荷兮
 辛崎の松は花より朧にて     芭蕉

は後に荷兮自身が言うように発句の体ではない。ただ、その常識を破る所が、「底をぬく」だったのかもしれない。それなら、惟然の、

 梅の花あかいハあかいハあかいハな 惟然

も底をぬいたということか。
 其角も「人先に医者」の句は気に入ったのか、元禄七年刊の『句兄弟』に載ったという。

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