今日は原宿の太田記念美術館へ「かわいい浮世絵 おかしな浮世絵」展を見て、それから新宿へ行き「マチルド、翼を広げ(明日もその先もずっと)」という映画を見た。
浮世絵の方は、江戸時代の人の想像力はすばらしく、今日のジャパンクールが一日にしてなったものではなく、長い伝統の上にある事を確認できたような気がした。
映画の方は、これは「ドラえもん」かな?道具は出さないけど、いろいろ助言をして女の子を助けてゆく。コキンメフクロウはさすがにミネルバのフクロウと言われるだけあって賢い。
その他にも千駄ヶ谷の鳩森神社や将棋会館を見たり、Monmouth Teaの紅茶やYYG Brewery & Beer Kitchenのビールを飲んだり、盛りだくさんの一日だった。
そういうわけで『俳諧問答』の方はあまり進まないが、続きを。
「又問テ云、予が俳諧と晋子が俳諧と符合せざる事、幷師の風雅と予が風雅と符合せし事をのべて、不審を明し給へといへば、師ノ云ク、許子俳諧をすき出る時、閑寂にして山林にこもる心地するをよろこび、元来俳諧数奇出ずやといへり。
答云ク、しかり。師もすく所かくのごとし。
晋子がすく所ハ、会て此趣にあらず。俳諧ハ伊達風流にして、作意のはたらき、面白物とすき出たる相違也。故ニ晋子と許子と符合せざるといへり。
初て眼ひらき、一言に寄て筋骨に石針するがごとし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.90)
芭蕉と其角は長い付き合いではあるが、この頃は路線の違いから疎遠になっていた。その辺のことは許六も知っていたであろう。ならば、その対立を利用して、自分は其角に点を乞うたこともあったがしっくり来ず、むしろ芭蕉の風に近いことをアピールすることになる。これも「いひ勝」だ。
そこで気を良くした芭蕉は、自分が閑寂を好み許六も閑寂を好む所が一致していて、其角は都会的な伊達を好む所が違うと言う。
「又問テ云、師ト晋子ト、師弟ハ、いづれの所を教へ習ひ得たりといはむ。答テ云、師が風閑寂を好てほそし。晋子が風伊達を好てほそし。この細き所師が流也。爰に符合スといへり。又大きに感ズ。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.90~91)
これは芭蕉の「ほそみ」を問題する時に必ず引用される有名なフレーズだ。
前に「ほそみは共感から来る細やかな気遣いで、共感の根底には同じように生きていて、やがて死んでいく、自分と同じものであるという共鳴がある。」が、こうした共感は田舎での閑寂な暮らしで自然界の命に共鳴する共感もあるが、都会暮らしの中で様々な人間の様々な立場への共感もある。
ただ、芭蕉にも人事に優れた句はあるし、其角にも自然を詠んだ優れた句はあるから、これはどちらかというと程度のことで、実際芭蕉と其角の違いは、芭蕉が興行中心で興行のためなら田舎の辺鄙な地をも厭わないのに対し、其角は芭蕉に負けず頻繁に旅をするとはいえ、それは興行のためではなく、街で点者として生活する方がメインになる。
どちらも「ほそみ」を具えてはいるが、田舎廻りを好んでの「ほそみ」と都会生活を好んでの「ほそみ」とが違うと見た方が良いのかもしれない。
「又問テ云、予探り当たる所、真ンの俳諧の血脈ニ侍るやといへば、此所毛頭うたがひあるべからず。心を正敷して、俗を離るる外ハなしといへり。其日ハ退去ス。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.91)
これで見ると、「血脈」は芭蕉の言い出したことではなく、許六が言った言葉を芭蕉が追認したにすぎない。
よく芭蕉の帰俗と蕪村の離俗が対比されるが、ここで芭蕉が「俗を離るる外ハなし」というのは、許六の資質に対して、それを伸ばすには「俗を離るる外ハなし」と言ったのであろう。まあ、「帰俗」は俗を去りながらも、「和光同塵」よろしく俗を見捨てずに俗に交わりながら俗を離れるという高度な生き方をさすものだから、俗物で良いという意味ではない。
「市隠」という言葉もあるが、山中に居て俗に染まらないのはたやすいが、街に居て俗に染まらないのは難しいという意味では、許六にも田舎での閑寂を好み俗を離れながらも、またその心を市中においても保てることを求めていたのではないかと思う。それが「十団子」の句への期待だったと思う。
これで許六と芭蕉との最初の対面は終る。
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