今日から仕事始めで、そろそろこの俳話も書かなくてはな。
二日は毎年恒例の武州柿生琴平神社の初詣。
三日は「街道を行く、東海道編」の続きで、掛川から磐田まで歩いた。
四日は足柄峠から富士山を見た。
掛川へ行く時の新幹線からも富士山はよく見えた。富士といえば、
元朝の見る物にせん富士の山 宗鑑
という初期の俳諧の発句もある。
それでは今日は正月ということで、今でもある正月の風物を見てみようか。
まずは門松。お馴染みのコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
正月に家の門口に立てる飾りの松。元来、年神(としがみ)の依(よ)り代(しろ)であったとみられる。中世以降、竹を添える場合が多い。かどのまつ。まつかざり。《季 新年》「―の雪のあたたかに降りにけり/涼菟」
と凉菟の句まで載っている。
貞門では、
春立やにほんめでたきかどの松 徳元
の句が分かりやすい。門松は門の左右に二本立てるので、日本目出度きとなる。
家々の千とせやあまたかどの松 捨女
の句もある。
蕉門では、
月雪のためにもしたし門の松 去来
コトバンクにもあった、
角松の雪のあたたかに降りにけり 凉菟
の句がある。
さて、正月といえばやはり餅。
年明て春立けるに
柴に又餅花さくや二度の春 令徳
は貞門の句。
大門の扉の腹やかがみもち 木導(彦根正風体)
つき臼もうごかぬ御代や鏡餅 田札(彦根正風体)
は蕉門の句。
そして餅と言えばお雑煮。コトバンクの「雑煮(読み)ぞうに
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、
「餅に数種の野菜,鶏肉,魚介類,魚肉練製品,豆製品などを加えて煮た汁物。正月三ヵ日に食べて新年を祝う。古くは室町時代にもつくられたが,一般に行事食となったのは江戸時代からである。地方により汁や加える副材料に特色があり,汁は大別して濃尾平野を境にして関西地方の味噌汁と中部・関東地方以北の澄まし汁に分けられる。たとえば東京付近では焼いた切り餅に鶏やかもの肉,えび,かまぼこ,青野菜,ゆずなどを加え,こんぶとかつお節で出し汁をとり,澄まし仕立てとする。京阪地方では大根,人参,八頭などの野菜や焼き豆腐などを入れ,丸餅を焼かないで湯煮して加え白味噌仕立てとする。」
とある。
雑煮にや千代のかずかく花かつお 捨女
は貞門の句。蕉門では、
鶯や雑煮過ての里つづき 尚白
唐めかず目出たし雑煮神の膳 調和(伊達衣)
どこに居て雑煮喰やらかくれ笠 凉菟(皮籠摺)
閑居の器は漆嗅からず、元朝の茶
碗寒けれども清し。蓋をひらけば
猶風雅にして、餅と若草と花一輪。
梅散てかくれ家風の雑煮哉 木因(一幅半)
ほかほかと鼻をむしたる雑煮哉 春卜(一幅半)
といった句がある。
ウィキペディアに、
「江戸時代、尾張藩を中心とした東海地方の諸藩では、武家の雑煮には餅菜(正月菜)と呼ばれる小松菜に近い在来の菜類(あいちの伝統野菜)のみを具とした。餅と菜を一緒に取り上げて食べるのが習わしで、「名(=菜)を持ち(=餅)上げる」という縁起担ぎだったという。」
とあり、木因の句はこのシンプルな雑煮に梅の花一輪を添えたもの。
正月の書初め。
筆ひぢてむすびし文字の吉書哉 宗鑑
手握蘭口含鶏舌
ゆづり葉や口に含みて筆始 其角
羽根つき。
羽子板の絵はさまざまよ明てから 羽かせ(一幅半)
羽子をつく童部心に替りたし ツ子(一幅半)
姫初め。
ほこ長し天が下照姫はじめ 望一
そういうわけで、近代俳句だが、
去年今年貫く棒の如きもの 虚子
今年も去年と変わらず頑張ります。
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