2019年1月25日金曜日

 日本国憲法第二十四条には「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」とある。この「両性」は男女に限定せずに「両人」にでもした方がいいかもしれないが、とにかく結婚は本人同士の問題で、外野がとやかく言うことではない。たとえ皇族であっても、むしろ皇族だからこそ憲法は遵守してもらいたい。
 って何の話してたんだったか。そうそう、「洗足に」の巻の続きだった。
 二十三句目。

   又まねかるる四国ゆかしき
 朝露に濡わたりたる藍の花    嵐蘭

 ウィキペディアの「藍」のところに、

 「日本には6世紀頃中国から伝わり、藍色の染料を採る為に広く栽培された。特に江戸時代に阿波で発達し、19世紀初めには藍玉の年産額15万-20万俵を誇った。」

とある。前句の「四国」から阿波名産の藍を出したと言って良いだろう。
 「藍の花」は本物の花ではない。これもウィキペディアに、

 「染色には、藍玉(すくも)を水甕で醗酵させてから行う(醗酵すると水面にできる藍色の泡を『藍の華』と呼び、これが染色可能な合図になる)ので、夏の暑い時期が最適である。」

とある。
 曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の夏之部の六月の所に「藍苅る」という季語がある。

 「[和漢三才図会]四月、苗を植て凡七十日ばかりに、いまだ穂をなさざる時、晴旦に露に乗じて抜採り、曝し乾す、云々。按ずるに、抜採るもの穂にして、苅とる者多し。」

とあるように、藍の収穫は花の咲く前に行われる。ただ、馬琴の時代には秋の穂の出る頃に三番刈りすることも多かったようだ。
 その一方で『増補 俳諧歳時記栞草』の秋之部に「藍の花」の項目がある。

 「葉、蓼に似て、七八月淡紅花をひらく。」

 これは収穫後の藍を種を取るために残しておくと秋に赤い花が咲く、その本物の方の花を指すからだ。近代でも「藍の花」仲秋になっている。
 二十四句目。

   朝露に濡わたりたる藍の花
 よごれしむねにかかる麦の粉   芭蕉

 「武庫川女子大学 牛田研究室」のサイトに、

 「日本の伝統的な藍染めでは、写真のように、土の中に埋め込んだカメ(瓶)の中に、すくも・小麦ふすま(発酵の栄養源)・灰汁(アルカリ)を入れ、1週間ほど発酵させ、すくも中のインジゴを還元して水溶性にして行う。この発酵は、熟練を要する作業である。液面に泡(これを藍の花と称する)が立つと染めることができるようになる。」

とある。
 この場合の「麦の粉」ははったい粉ではなく小麦ふすまのことか。
 二十五句目。

   よごれしむねにかかる麦の粉
 馬方を待恋つらき井戸の端    洒堂

 この場合は前句の「麦の粉」をはったい粉として、井戸端で愛しき馬方を待つ粉屋の娘としたか。はったい粉は「麦焦がし」とも言い、物が「麦焦がし」だけに恋に胸が焦がれるとする。
 二十六句目。

   馬方を待恋つらき井戸の端
 月夜に髪をあらふ揉出し     許六

 「揉出し」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「揉み洗いをして汚れなどを取り除くこと。揉み出すこと。
 ※俳諧・深川(1693)「馬方を待恋つらき井戸の端〈洒堂〉 月夜に髪をあらふ揉(モミ)出し〈許六〉」

とある。
 馬方の帰りが遅くなったのか、月夜の井戸端で髪を洗って待っている。
 「あらふ」だけで止めずに、「揉出し」というやや散文的な作業を持ち出すことで俳諧になっている。

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