今日は二宮の吾妻山公園へ菜の花を見に行った。風も今日は暖かく、今年も春をフライングゲット。
それでは、というところだが、『俳諧問答』の続きに行く前に、ちょっと一休みして、芭蕉・許六・洒堂の参加した「けふばかり」でない方の歌仙を読んでみようと思う。
元禄五年十二月上旬、許六亭での興行だという。
発句をまず見てみよう。
二日とまりし宗鑑が客、煎茶一斗米五升、下戸は亭
主の仕合なるべし。
洗足に客と名の付寒さかな 洒堂
この前書きは宗鑑が庵の入口に掛けていた狂歌、
上は来ず中は日がへり下はとまり
二日とまりは下下の下の客
宗鑑
を踏まえている。
なお、『阿羅野』には、
下々の下の客といはれん花の宿 越人
の句がある。
洒堂も許六亭に二泊したのか、あるいはこの興行の後に二泊目をする予定だったのか、煎茶一斗米五升を手土産にする。隠元法師が日本にもたらした煎茶は唐茶とも呼ばれた。「茶を煮る」というのも、この唐茶をいう。今日の日本の煎茶はこれの改良型。
許六は、
餅つきや下戸三代の譲臼 許六
の句があるように、下戸だったと言われている。
「仕合」は「しあひ」ではなく、この場合は「しあはせ」で、もとは廻り合わせという意味だった。運命のいたずら、というようなニュアンスか。それが転じて、良い廻り合せを「幸せ」と言うようになった。
さて発句だが、そんな下下の下の客の亭主への挨拶で、冷えた足を洗って暖めるためのお湯まで用意してくれて、きちんと客として扱ってくれていることに感謝するとともに、恐縮して己が寒く感じます、という意味だ。
これに対し許六はこう和す。
洗足に客と名の付寒さかな
綿舘双ぶ冬むきの里 許六
「綿舘」は『校本芭蕉全集 第五巻』(一九八八、富士見書房)の註には、「綿の干し場」とある。どのようなものかはよくわからない。
まあ、とにかく綿がたくさんあるから冬にはちょうど良い里ですということで、洗足盥についても当たり前のことをしているだけですというふうに受ける。
第三は芭蕉が付ける。
綿舘双ぶ冬むきの里
鷦鷯階子の鎰を伝ひ来て 芭蕉
鷦鷯(みそさざい)はウィキペディアに、
「日本の野鳥の中でも、キクイタダキと共に最小種のひとつ。常に短い尾羽を立てて、上下左右に小刻みに震わせている。属名、種小名troglodytesは「岩の割れ目に住むもの」を意味する。
茂った薄暗い森林の中に生息し、特に渓流の近辺に多い。単独か番いで生活し、群れを形成することはない。繁殖期以外は単独で生活する。
早春の2月くらいから囀り始める習性があり、平地や里山などでも2月頃にその美しい囀りを耳にすることができる。」
とある。早春二月は旧暦で師走の終わりから正月の初めになる。囀りの声を本意としてか、冬の季語とされている。
『荘子』には、「鷦鷯深林に巣くうも一枝に過ぎず」という言葉があり、分相応に満足する者をいう。
「階子の鎰」は階段の段鼻のことか、よくわからない。
森の中の一枝で用の足りるミソサザイも、冬になれば人里に降りてきて囀る。そこが冬向きの場所だからだ。
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