今日は満月で、ビルの谷間から大きな月が昇ると、ついつい「ちょー月じゃん」という感じになる。今日はスーパームーン。アメリカでは皆既月食だとか。
それでは「洗足に」の巻の続き。
四句目。
鷦鷯階子の鎰を伝ひ来て
春は其ままななくさも立ツ 嵐蘭
ミソサザイは正月の頃も囀る。
「其まま」は「すぐに」という意味もある。春が来たと思ったらあっという間に七草で、正月もあっという間に過ぎてゆく。
まさに四句目は軽くさっと流すという見本のような句だ。
五句目。
春は其ままななくさも立ツ
月の色氷ものこる小鮒売 許六
「のこる」という言葉は季語と結びつくと、次の季節になったけどまだ残っているという意味になる。
凍月という言葉もあるが、春になってもまだ完全な朧月にならず、どこかまだ凍月の俤を残している、という意味だろう。
「のこる」はまた小鮒売りにも掛かる。今でも一部の地方ではおせち料理に小鮒を食べるようだ。七草の頃、日も暮れるというのに売れ残った小鮒を売り歩く。
この辺の「あるある」の見つけ方は許六の得意とするところだ。「氷も残る」から序詞のように言い興すあたりもさすがに上手い。
六句目。
月の色氷ものこる小鮒売
築地のどかに典薬の駕 洒堂
「典薬」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、
「① 「典薬寮」の略。
② 律令制で、後宮十二司の薬司の次官。くすりのすけ。」
とあるが、律令時代の雰囲気ではない。
同じコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「⑤ 近世、幕府や大名のおかかえの医師。御殿医(ごてんい)。
※俳諧・犬子集(1633)一五『藪のうちへぞ人のあつまる 典薬の其礼物はおびたたし〈重頼〉』
⑥ 多く、医師をいう。」
とあり、むしろこっちの方だろう。
築地のある立派な家の前にはどこぞのお抱え医師の駕籠が留まっている。夕暮れの哀れな小鮒売りに対する向え付けと言っていいだろう。
初裏に入る。
七句目。
築地のどかに典薬の駕
相国寺牡丹の花のさかりにて 嵐蘭
ここは逆らわずに築地を立派なお寺の塀とし、京都五山の一つ、相国寺の牡丹を付ける。相国寺といえば、中世には同時期に若い頃の宗祇法師と雪舟が修行していた。面識はあったのだろうか。
八句目。
相国寺牡丹の花のさかりにて
椀の蓋とる蕗に竹の子 芭蕉
お寺だから精進料理で、汁の椀も蕗(ふき)に竹の子とシンプルなものだ。単に汁の椀を出すのではなく「蓋とる」という動作を出すあたりで、その人間がどういう人なのか想像力を掻き立て、それが次ぎの句の展開のヒントになる。
一見何でもないような句でも、次の展開を見据えるのが芭蕉の上手さだ。
九句目。
椀の蓋とる蕗に竹の子
西衆の若堂つるる草まくら 洒堂
ここは芭蕉の意を汲んで、西国から来た旅の若侍を登場させる。
「西の衆」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「室町幕府の柳営(りゅうえい)内で将軍に謁見するとき、西向きの縁から出仕することに決まっていた門跡・摂家・清華の人々。→東の衆」
とあり、同じコトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、
「〔西向きの縁を通って拝謁したことから〕
室町将軍家と外様とざま関係にある者。 → 東の衆」
とある。ここでいう「西衆」はこれとは関係なさそうだが、六句目の「典薬」といい、わざわざこういう言葉を出して教養ある所を見せようとするのが洒堂のキャラなのだろう。
十句目。
西衆の若堂つるる草まくら
むかし咄に野郎泣する 許六
「野郎」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、
「① 男性をののしっていう語。 ⇔ 女郎めろう 「この-」 「馬鹿-」
② 月代さかやきを剃そった若者。 「十二、三の-に紙子の広袖/浮世草子・懐硯 1」
③ 「野郎頭」の略。
④ 野郎頭の歌舞伎役者。若衆歌舞伎が禁止されたために、若衆の前髪を剃って野郎頭としたことからの呼び名。
⑤ 男色を売る者。かげま。 「一日は-もよしや/浮世草子・一代男 5」
とあり、若侍が登場したところでこの場合は期待にこたえてというか、④や⑤の意味であろう。
「泣(なか)する」は悲しませるという意味ではなく、別の意味もある。大方若侍の自慢話であろう。
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