今日の話題は何と言っても全豪オープンで、ゴールデンタイムということもあって、テニスのルールもよくわからないままに見ていたが、長い死闘の末に大坂なおみがやってくれました。
クビトワもよく粘り、最後まではらはらする試合だった。
大坂なおみはアメリカでの生活が主だとは言え、表情やインタビューやコメントの時の天然振りも日本人だなと思った。
それでは「洗足に」の巻の続き。
二十七句目。
月夜に髪をあらふ揉出し
火とぼして砧あてがふ子供達 芭蕉
「あてがふ」は割り当てるということ。母が髪を洗っている間は砧打つのも子供の仕事になる。多分よくあることだったのだろう。
砧は杵(きね)で衣類を叩き、艶を出す作業で、かつては東アジアで広く行われていた。ウィキペディアによると、「日本の家庭では、炭を使うアイロンが普及した明治時代には廃れたが、朝鮮では1970年代まで使われていた。現在では完全に廃れている。」という。
明治二十七年(一九八四)に「二六新報」に掲載された本間九介の『朝鮮雑記』にも、日本で廃れた砧が朝鮮半島に残っていることを、
「お仕舞は一声高し小夜きぬた
月の出る山を真向や小夜きぬた
長安一片月、万戸擣衣情
秋の哀を捲きこめて打てばや音の身にはしらむらん。
まったくもって、無限の旅情を駆りたてるものは、この擣衣(衣を打つ)
の声にこそあるのではないか。」
と記している。
句は誰のものかよくわからない。この翌年、正岡子規が日清戦争の従軍記者として朝鮮半島に渡っている。
二十八句目。
火とぼして砧あてがふ子供達
先積かくるとしの物成 嵐蘭
「物成(ものなり)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、
「江戸時代の年貢。取箇 (とりか) ,成箇 (なりか) と同義。田畑の本租の意味で本途物成ともいう。これに対し諸種の雑税を小物成という。」
とある。
年貢として差し出すことしの収穫物が部屋の中にうずたかく積まれ、その影で子供達が砧を打っている。
二十九句目。
先積かくるとしの物成
うつすりと門の瓦に雪降て 許六
年貢米の積まれた屋敷には立派な瓦葺の門があり、季節がらそこに薄っすらと雪が降り積もる。
この歌仙もそろそろ終盤となり、景色を付けて軽く流してゆく。
三十句目。
うつすりと門の瓦に雪降て
高観音にから崎を見る 洒堂
「高観音」は滋賀大津の高観音近松寺で、三井寺(園城寺)の別所の一つ。前句の門を高観音近松寺の門として、そこから滋賀唐崎が見える。
0 件のコメント:
コメントを投稿