2019年1月17日木曜日

 師走の月も太り、春も近い。明け方には金星と木星が見える。
 それでは『俳諧問答』の続き。

 「師ノ云、第一手筋よし、器よしといへ共、手筋のあしきハならず。すみやかに此度、俳諧の底をぬかセんといへり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.92~93)

 六つのことを言いながら、その第一の「器」よりも大事なものとして、ここで「手筋」を挙げる。
 「手」というのは本来書の腕をいう言葉で、それが様々な芸事に拡大されている。茶道では「お手前」という。
 また、「筋」もまた様々な芸事で「筋が良い」という用い方がされている。
 ここでの手筋は天性の才能というような意味だろう。器はいろいろな物事を学び取り、取り入れ受け入れる、その入れ物の大きさで、広さをあらわす概念なのに対し、手筋は深さをあらわすようだ。それが「底をぬかセん」という言葉に繋がる。
 今日では「底を抜く」という言葉は廃れているが、「底知れない」という言い方はする。その逆は「底が浅い」ということになる。
 いろんな物事を受け入れる度量はあっても、底が浅くてはいけないというのは、おそらく洒堂のことを念頭に置いて言っているのであろう。要するに博識なだけでは駄目ということだ。それに対し、許六の「十団子」の句は、芭蕉からすれば底を抜かれる思いだったのだろう。許六がそれを理解できたかどうかは別として。

 「門弟の中に底をぬくものなし。あら野の時を得たりといへ共、ひさごに底を入レられ、ひさごハさるミのに底有て、古今をへだてらる。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.93)

 門弟に底を抜くものがいないということは、これまで底を抜いてきたのは芭蕉自身だということになるか。
 荷兮編の『あら野』は蕉風確立期の蕉門の集大成のようなもので、一世を風靡した。許六も「于時(ときに)あら野集出来たり。よろこむで求め、昼夜枕とす。」と言っていた。
 『ひさご』は珍碩(洒堂)編で、『阿羅野』の底を更に掘り下げたと言っても洒堂の功績ではなかったようだ。
 『猿蓑』は去来と凡兆の編だが、これも芭蕉が底を更に掘り下げたものだった。

 「底のぬけたる者、新古の差別なし。昨日・今日・又明日と流行して、一日も葦をとめずといへり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.93)

 これも芭蕉自身のことであろう。許六に同じ才能を期待し、次の集の編纂のことも考えたのかもしれない。
 実際に実現した次の集は『続猿蓑』だが、これは沾圃編にはなっているものの、沾圃の発案で実際には芭蕉と支考が編纂し、芭蕉の死去の跡は支考が引き継いだ。
 芭蕉は許六にも期待していたのかもしれないが、許六の六つの長所を挙げたときには「手筋」のことに触れてなかったように、あくまで可能性として考えていただけであろう。
 許六はひょっとしたら底を抜くかもしれないが、今の時点ではまだ無理だということで、「俳諧の底をぬかセん」とこれから指導してそれを引き出せるかどうかと考えたのではなかったかと思う。ただ芭蕉の存命中にそれは実現しなかったし、その後も芭蕉亡き後の俳諧を牽引する力はなかった。
 この頃芭蕉が思い描いてた次なる新風のより深い底は、許六のみならず、支考、惟然をもってしても結局掘り下げることは出来なかった。俳諧は芭蕉を頂点として終った。
 蕪村を中興の祖とすることはできるが、芭蕉を越えるまでには至らなかった。
 子規は芭蕉の延長線上にはいなかった。西洋文学の理念へシフトすることで、俳諧とは別の「俳句」という新ジャンルを作ったと言った方がいい。

 「其冬の頃、愚句
 寒菊の隣もありやいけ大根
といふ句せし時、洒堂が句に
 鶏やほだ焼く夜るの火のあかり
と時を同し侍る。
 此両句、翁の論じて云ク、世間俳諧するもの、此場所ニ到て案ずるものなしと称し給ふ。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.93)

 「いけ大根」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 ① 畑から引き抜いたままの大根を地中に深くうずめて、翌年の春まで貯蔵し、食用とするもの。いけだいこ。《季・冬》
※俳諧・笈日記(1695)中「寒菊の隣もありやいけ大根〈許六〉」

とある。
 冬咲きの菊は寂しげだが、その隣に大根が埋まっていると思えば、その寂しさも紛れるだろうかと、許六の句は「寒菊の隣にいけ大根もありや」の倒置。「や」は疑いの「や」で詠嘆ではない。「も」も力もで並列の「も」ではない。
 冬の花の孤独に咲く姿は寓意もあり、春を待つ冬大根もその寓意に寄り添う。こういう手法は何とか今までの風よりも深めようという意欲は感じられるが、全体に印象が薄く決定打にはなっていない。これが元禄六年冬の一つの到達点だったのだろう。
 洒堂の句の「ほだ焼く」は「ほた(榾)」を焼くということか。「ほた」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 ①  囲炉裏や竈かまどでたく薪たきぎ。掘り起こした木の根や樹木の切れはし。ほたぐい。ほたぎ。 [季] 冬。 《 -煙顔をそむけて手で払ふ /池内友次郎 》

とある。
 冬の夜明けを告げる鶏のなく頃は、一番冷え込む時間でもある。そこにあるのはわずかな「ほた」を焼く火のみ。寒々とした中にも夜明けがあり、やがてくる春を匂わせる。
 これも当時の一つの到達点だったのだろう。でもやはり何かが足りない。ここに足りないものが何かというところを許六に考えさせたかったのではないかと思う。

 「予云、我久敷色々の風を学ぶゆへに、ふるき場。新敷場ハ慥ニおぼゆる也。此場所より外ニ案じ出す所ハなし。然共能句稀なるをなげくといへば、師ノ云、好悪ハ時のよろしきにつくとしめし給へり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.93~94)

 許六も今までの色々な風の流行からして、こうした句が新しいのはわかる。ただここよりも更に深くとなると何も思いつかない。ただ、なかなか本当に良い句が生まれてこないのは残念だというと、良し悪しはその時代が決めるものだと答える。結局必要なのは古池の句や猿に小蓑の句のような大衆から知識人までうならせるヒット作だ。

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