2019年1月19日土曜日

 『俳諧問答』の続き。

 「又云ク、愚老が俳諧ハ五哥仙ニいたらざる人、一生涯成就せず、大事也。覚悟せよといへり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.94)

 「五哥仙」は岩波文庫の注に、「『尾張五歌仙』即ち『冬の日』のこと。」とある。
 ただ、このあとの許六の返事からすると、最低でも歌仙を五つは巻かなくてはならない、という意味か。

 「予、俳諧、師とする事、全篇慥ニ成就する巻二哥仙、半分ニミてざる巻二ツ、以上四巻也。
 師の云、愚老相手と成て俳諧する事、三・四度也。いつとてもだれだれと俳諧するハ、かやうの物と容易におもふ事なかれ。真ンの俳諧をつたふる時ハ、我骨髄より油を出す。かならずあだにおもふ事なかれと、大きに恩をしめされたり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.94)

 元禄五年の冬には十月三日許六亭興行の、

 けふばかり人も年よれ初時雨  芭蕉

の句を発句とする歌仙と、

 十二月許六亭興行の、

 洗足に客と名の付寒さかな   洒堂

を発句とする歌仙と、二つの歌仙に許六は参加している。この二つの歌仙には洒堂も参加している。この他にも満尾しなかった巻が二つあったのか、『校本芭蕉全集』には載ってない。
 この二つの歌仙興行の時、芭蕉は真の俳諧を伝えようと骨髄から油を搾り出すような思いで臨んだということで、許六はこれを大変な恩を受けたと受け止める。
 「骨髄より油を出す」という言い回しだが、骨髄の油を出すのではなく、「骨髄」は比喩で自分の持てるものの真髄を、胡麻や菜種やアブラギリを圧搾して油を搾り出すように、一句一句全力で句を付けている、という意味だろう。
 「けふばかり」の巻は鈴呂屋書庫の蕉門俳諧集に以前書いた解説があるのでそちらもよろしく。確かに芭蕉の句は一句一句力が入っている。

 「其正月、予が亡母の七季追悼に到ル。心安き相手求めて、歌仙一巻終ル。成て師ニ呈ス。師これを読て、且ツよろこび且ツ称ス。
 予が云ク、師の流、此歌仙の外ニあらバ、予が俳諧終ニ本意を遂る事あたハじといへば、師の云ク、全ク是也。うたがひ侍る事なかれと、大きに感ゼり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.94~95)

 この正月の歌仙は残念ながら『韻塞』には載ってない。ただ、この歌仙を入れれば、ぎりぎり五歌仙になる。

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