昨日は聖峰(伊勢原市)から高取山を経て弘法山(秦野市)まで歩いた。聖峰は長閑な里山の中から山桜の道を登ってゆき、山頂にも桜が咲いていた。眺望も良く、なかなかの穴場だった。
弘法山は桜の名所だが、既にかなり散っていた。もう少し早く来たかった。
それでは「うたてやな」の巻の続き。ようやく挙句に。
四十九句目。
雁に鷗に浦づくしまふ
ほとけとは花見る内が仏なり 万海
これは難しい。何か禅問答みたいだ。
なぜ目出度いはずの花見で仏が出てくるのかというと、多分この俳諧興行自体が鉄卵の月命日の供養を目的としたものだったからだろう。だから花の定座とはいえ無条件に目出度い花は詠めない。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、
「花の盛りは七日間、初七日まで供養の舞から諺「花の盛りは七日」を連想し、「春霞立つを見捨てて行く雁は花なき里に住みやならへる(古今集・春上・伊勢)によって付けた。」
とある。
初七日の供養の舞というのがよくわからないし、それが何で浦尽くしなのかもよくわからない。「花見る内」を七日として強引に初七日に結び付けた感じがする。
ここはもう少し直感的に読んでもいいのではないかと思う。仏の心は花の心。花見る心が仏の心というわけで、花見を楽しみ雁に鷗に浦尽くしの舞を舞うのが何よりも供養の心になる、というのはどうだろうか。これなら花見の目出度さと供養の心とが両立する。
挙句。
ほとけとは花見る内が仏なり
二十日団子は丸き百日 補天
「二十日団子」は二十日正月に食べる小豆団子。十月十日に亡くなった鉄卵の百日目(三ヶ月と十日)の百か日法要がこの二十日正月の頃になる。kasikoの「葬制の基礎知識」によれば、
「四十九日法要後、故人の命日から(命日も含めて)100日目に執り行う法要を百か日法要という。
百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、この百か日法要をもって、残された遺族は「哭(な)くことから卒(しゅっ)する(=終わる)」、つまり、悲しみに泣きくれることをやめる日であることも意味する。」
とあり、この法要を過ぎたのだから、もう泣くのはやめて花見を楽しもう。それが仏の心の通じる、と締めくくる。
「花」に「団子」は付き物。
0 件のコメント:
コメントを投稿