昨日は代官山へPagan Metal Horde vol.3を見に行った。
オープニングアクトのAllegiance Reignは日本のバンドで、甲冑を身につけ侍の格好で演じるバンドだが、メタルといっても音はそれほど重くなく、音もケルト風であまり和のテイストはなかった。ハイトーンのボーカルはわりとしっかりしていて、MCが面白かった。
Ithilienはベルギーのフォークメタルバンドで、ブラック寄りの重い音を出す。ホイッスル、バイオリン、ハーディ・ガーディの加わる大所帯のバンドで、楽器編成はEluveitieに似ている。森の妖精のようだった。エルフ族だろうか。
Dalriadaはハンガリーのフォークメタルの大御所で、女性ボーカルのローラは思ったより小柄だった。周りの男達が皆でかいので、余計小さく見える。男達はRPGから出てきたような「ぬののふく」を装備した戦士のようだった。これはとにかく盛り上がった。
四番目からがメインアクトになり、チュニジアから来たMyrathた登場する。これはとにかく歌がうまくて聞かせてくれるし、曲もメタルにしてはポップだ。それにステージはベリーダンス付だった。
最後に出てきたのはイスラエルのOrphaned Landで、髭を生やしたいかにもユダヤ人という人たちだった。曲だけ聞くとアラビア人とユダヤ人の区別はよくわからないが、MyrathのあとにOrphaned Landが出てくると、顔が全然違うのがわかる。変則的な構成の曲が多いが、それでも盛り上がった。最後のSapariからアンコールのNorra el Norraへ、歌詞はさっぱりだけど、とにかくみんなで合唱になり、盛り上がった。
なかなか世界からこれだけのメンバーが集まることはないだろう。貴重な一日だった。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き、三裏に入る。
六十五句目
風の便もかくやたゆべき
花ははや散るさへ稀の暮れ毎に 宗祇
宗牧注
悉落ちつくしたる花の跡にて、毎夕ちらしたる風の便さへ、かくハ絶べきかと恨たる也。
周桂注
花のちるハ悲しけれど、それさへまれに、散つくしたる体也。
「風の便り」は比喩で噂という意味だが、その「風」を桜を散らす春風に掛けて、花の句に展開する。
花は散り、その散る花びらすらもはや日に日に稀になってゆく。風が届けてくれる便りもこの花びらのように、こうやって絶えて行くのだろう。
六十六句目
花ははや散るさへ稀の暮れ毎に
日ながきのみや古郷の春 宗祇
宗牧注
春の物とてハ、只永日ばかり也、となり。花はちり果ての心なり。
周桂注
花の後の古郷、何の興もなき所也。日ながき計古郷の所作也。
散る花も稀になるにつれて、日もどんどん長くなる。都なら花が散ってもいろいろ楽しいこともあるものを、鄙びた里の退屈さということか。
六十七句目
日ながきのみや古郷の春
糸遊の有りなしを只我が世にて 宗祇
宗牧注
糸遊ハ有かと思へば、更に形ハなきもの也。又なき物かと思へば、空に見ゆる物也。われらが生涯如此と也。永きといふより、糸遊を思ひよられたるなるべし。
周桂注
あるかなきかの古郷の体也。
「我が世」は宗牧注によれば「われらが生涯」で、それは陽炎のように有るのか無いのか分からないような頼りないものだ。周桂はそれを都落ちして古郷で暮らす境遇に結びつける。
六十八句目
糸遊の有りなしを只我が世にて
霞にかかる海士の釣舟 宗祇
宗牧注
糸遊より蜑(あま)の釣舟ハ出たり、釣の糸の心也。ありなしとハ、霞にうかびたる浜舟の体也。
周桂注
つりの糸にとりなせり。霞に釣の糸のありなしを見わかぬ心也。
「糸」に「釣」は縁語になる。我が生涯の有るか無いか分からないような存在の希薄を、霞の彼方に消えてゆく海士の釣舟に喩える。
六十九句目
霞にかかる海士の釣舟
詠めせん月なまたれそ浪の上 宗祇
宗牧注
詠(ながめ)よと思はでしもや帰(かへる)らん月待浦のあまの釣舟。□月とおなじく詠せんと也。月なまたれそとなるべし。
周桂注
ながめよとおもはでしもや帰るらん月まつ浪のあまの釣舟。
本歌は、
熊野へ詣で侍りしついでに
切目宿にて海邊眺望といふ心を
男どもつかうまつりしに
ながめよと思はでしもや歸るらむ
月待つ波の蜑の釣舟
源具親(みなもとのともちか、新古今集)
別に眺めてくれと思って狙って帰ってくるわけではないのだが、月の出とともに、月に照らされながら帰ってくる海士の釣舟は風情がある。この歌の心を踏まえて、霞の中を顕れてくる帰ってくる釣舟を見ながら、このまま月が出るのを待ってくれ、と付ける。
七十句目
詠めせん月なまたれそ浪の上
只にや秋の夜を明石潟 宗祇
宗牧注
明石ハ一段面白き所なれバ、何の興もなくてハいかが也。月もまたれそと所の風景を感じたる句也。
周桂注
月出ずバ、大かたにあかさんと也。一句ハ面白所なれバ、おもしろき遊覧も有べしと也。
明石は昔は流人の地だが、やがて月の名所の歌枕として知られるようになった。
「明石」という地名を「夜を明かし」に掛けて用いるのもお約束というか。
浪の上に月が現れるのを待って眺めたい。明石で秋の夜を月も見ずに明かすのは勿体ない、となる。
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