2018年4月6日金曜日

 染井吉野の季節はあっという間に過ぎ去り、八重桜も既に満開で、街路樹のアメリカ花水木(flowering dogwood)も盛りとなる。
 アメリカ花水木はワシントンに桜を送った時の返礼に送られたのが初めだというが、今では日本中至る所にある。
 季節的にはまだちょっと早いが、この時期に読んでみたい連歌がある。それは『宗祇独吟何人百韻』。これを『連歌俳諧集』(日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館)を基にして読んでゆくことにする。
 俳諧には特にこれといったタイトルがついてないのが多いので、発句の上五文字を取って「〇〇〇〇〇」の巻という風に呼ぶことが多いが、連歌では発句の賦し物をタイトルとする場合が多い。
 賦し物というのは『詩経』の詩の六義の一つ「賦」が「賦す」という動詞で用いられる時には「捧ぐ」に近い意味になる。
 たとえば水無瀬三吟は『水無瀬三吟何人百韻』という。これは

 雪ながら山もと霞む夕べかな  宗祇

の発句の「山」をタイトルの「何」の所に当てはめると、「山人」になる。水無瀬三吟は山人に賦す百韻ということになる。
 同じように、『宗祇独吟何人百韻』の発句は、

 限りさへ似たる花なき桜哉   宗祇

で、「花人」に賦す百韻ということになる。
 この百韻は明応八年(一四九九年)三月二十日頃から作り始めたとされている。それから四ヶ月かけてじっくり作ったらしい。このとき宗祇法師は七十九歳(数え)、この三年後の文亀二年(一五〇二年)九月に箱根湯本で世を去ることとなる。最晩年の作と言っていいだろう。それだけに宗祇法師の遺言のような意味もあったのかもしれない。
 発句の「似たる花なき」は跡形もなく散ってしまったという意味。『水無瀬三吟』三十九句目の、

   その面影に似たるだになし
 草木さへふるきみやこの恨みにて  宗祇

は、前句が「似た人はいない」という意味だったのに対し、「似たるだになし」のもう一つの意味の「跡形もない」という意味に取り成して付けている。
 『連歌俳諧集』(日本古典文学全集)のテキストには宗牧註(古注一)と周桂講釈(古注二)の二つの注が添えられている。
 宗牧は宗長の弟子で、宗祇の又弟子になる。生まれた年は不明で一五四四年没。周桂は宗碩の弟子で、やはり宗祇の又弟子になる。こちらは一四七〇年生まれで一五四四年没。この二人はほぼ同世代と思われる。
 その宗牧注(古注一)にはこうある。

 「此発句種々申人侍。ただ落花を見立たる句也。万木の花は、散時も枝に残などして見ゆるを、桜は散時も枝に執心もなく颯と散を感じていへる也。さへの字に感を興したる心こもれり。」

 「限り」には臨終だとか最後という意味もあり、ここでは散る時という意味だろう。散る時には一斉に散り、あっという間に跡形もなくなる、その散り際の潔さを詠んだといえばわかりやすいが、もちろんそれだけの意味ではないと言う「種々申人」もいる。周桂もその一人だろう。古注二はやや長い。

 「此百韻は、祇公七十九歳三月より同七月に令終(をえしむ)といへり。門弟達の遺誡の為なれば、首尾共ニ安々とつづけられたる也。発句の心は、盛りの時はをきぬ、ちりがたまでも見所ある花也。或は枝にしぼみ付などしてはべる花もあるを、桜は色香をつくして、諸人もてあそびおはりて、何の執心もなくちりたる所を、弥(いよいよ)ほめたる花なるべし。さへの字に初中後の心こもるといへり、世間の盛衰をおもふべくこそ。老後の独吟なれば、桜の何のことはりもなきかぎりを、身の上にうらやましとなるべし。」

 「或は枝にしぼみ付などして」はツツジだろうか。韓国人がムクゲとともに好む花だと言う。最後まであきらめないしぶとさは日本人のメンタリティーとはやはり異なるのだろう。
 門人への遺誡の意味があったのなら、年老いて死期も近い自分を桜の花に喩えて、そこに自分もまた思い残す所なく死にたいものだ、という気持ちを込めたとも思える。そのための弟子に対する手本にもなるべき独吟を意図したとなれば、三ヶ月かけてじっくり詠まれたのも頷ける。
 また、「世間の盛衰をおもふべく」は、跡形もない桜に応仁の乱の後の荒廃した都を惜しむ気持ちを汲み取ってのことだろう。
 深読みを避ける宗牧とあえて深読みする周桂、それぞれのキャラクターが感じられる。

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