では『宗祇独吟何人百韻』の続き。
脇
限りさへ似たる花なき桜哉
静かに暮るる春風の庭 宗祇
宗牧注
いかにも悠々と春風の吹たる折節の落花を興じていへり。
周桂注
花のしんしんとちる体也。落花に風をつくる事習ある事といへり。此脇句花をさそふ風にあらず。此外落花に風を付たる句、古(いにし)への名句いかほどもあるべし。心を付てみ侍べしとぞ申されし。
宗牧は単純に春風に花が散ったと言う。周桂も基本的に散る花に春風という古典的な付け合いに寄ったものとしている。
ただ、ここは花がすっかり落ちてしまったところになお春風が吹き、散る花の俤を残しているところが新しく、「静かに暮るる」にも花見の客も帰り、宴もなく静かだという意味が込められていると思う。それは昔からの友が一人また一人亡くなり孤独になってゆく老いの心境とも重なる。それを見落とすなら平凡な脇で終る。
第三
静かに暮るる春風の庭
ほの霞む軒端の峰に月出でて 宗祇
宗牧注
時節の体よく聞え侍り。此句柔和の体なるべし。
周桂
五ヶ月もで思惟せられたる独吟なれば、いかやうの名句も出来すべきを、末弟の鏡なれば、ただやすらかに付たる第三也。心は別に注すべき事もなし。
独吟だから脇に夕暮れの景色を付けた時点で、月への展開は必然だったといえよう。「暮」に「月」、「庭」に「軒端」と四つ手に付け、発句の自らの老境の心情や門弟達への遺誡の意図から離れ、素直に付けている。
ほの霞む軒端の峰に月出でて静かに暮るる春風の庭
と和歌の形にして詠めば、その完成度がわかる。
四句目
ほの霞む軒端の峰に月出でて
思ひもわかぬかりふしの空 宗祇
宗牧注
旅宿之体、方角も分別なき時分に、月のほのかに出たるにて東西を知たる也。
周桂注
かりねに方角をしらぬ物也。月の出たるを見て、方角を知たる心也。わかぬといひて、分別したる所きとく也。師説を受べしとぞ。
どちらも「思ひもわかぬ」を方角がわからないとして、月が出て方角がわかったとする。
ただ、それではあまりに単純で深みがない。「思ひもわかぬ」は方角に限らず、特に応仁の乱以降の定まらない世であるならなおさら、この先どうなるかわからないという不安を読み取ってもいいと思う。
暗くてどこへ行くとも知れぬ旅の空にほの霞む月が出ることで、はっきりと道を照らし出してくれるわけではないが、不安な旅の慰めくらいにはなる、そこまでは読みたいものだ。
五句目
思ひもわかぬかりふしの空
こし方をいづくと夢の帰るらん 宗祇
宗牧注
夢は来るかたも見えず、帰るかたもしらぬと也。
周桂注
夢はきたる方もさるかたもしらぬと也。
方角のわからない旅寝だから、来し方、つまり連歌の一般的なお約束に従えばこれは都を指すわけだが、都に帰りたいと魂だけが夢に都に向おうとするが、「思ひもわかぬ仮臥し」だから、どっちへ帰れば都に行けるのかもわからない。
旅体は基本的に都を追われた旅人を本意とする。
六句目
こし方をいづくと夢の帰るらん
行く人見えぬ野辺の杳(はる)けさ 宗祇
宗牧注
此句、諸人、行人を夢に見たると心得侍り。祇の作は、夢の覚たる端的は、行人も見えず、便もなき野宿の体なり。
此句、肖柏・宗長に談合ありし時、両人ともに夢人と意得られたり。ただ夢のさめたる当意也。夢はさめて、行人もなき心也。夢人とは見まじき也、と申されし時、柏・長手をうちて、寄特と申されしと也。
「夢人(ゆめびと)」はweblio辞書の「三省堂大辞林」によれば、「夢に現れた人。夢で会う恋人。」
前句を、夢に現れた都へと帰ってゆく人のこととし、「帰るらん」を疑問ではなく反語に取り成す。夢に現れた人は帰って行ったのだろうか、そんなことはない、目が覚めれば誰の姿もなく、ただ野辺だけがはるか彼方まで広がっている。「野辺の杳(はる)けさ」は武蔵野のイメージだろうか。
この句は、どこか、
この道やゆく人なしに秋の暮れ 芭蕉
の句を髣髴させる。そして、この句が、
人声やこの道帰る秋の暮 芭蕉
の句と対になっていたことも。夢では帰る人の声が聞こえ、覚めれば行く人もない、芭蕉は宗祇のこの独吟の句を知っていたのだろうか。
此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉
の句も、
わが心誰にかたらん秋の空
荻に夕風雲に雁がね 心敬
の秋の空に語るしかない孤独に対し、萩には夕風、雲には雁がねと友がいるのに、と付けたのに似ている。芭蕉もある程度連歌の知識があったか、それとも風流を極めると同じような発想になってくるのか。
七句目
行く人見えぬ野辺の杳けさ
霜迷ふ道は幽に顕れて 宗祇
宗牧注
儀なし。
周桂注
霜はをきまよひて、道はさすがみえながら、ふみ分て行人もなしと付たる也。
霜がびっしりと降りるとあたり一面真っ白になって、どこに道があるのか一瞬わからなくなる。ただ、それも一瞬のことで、よく見れば道は幽かに現れている。
行く人がいたならそこに足跡が残り、もっとはっきり道が見えただろうに、というところだろう。
宗牧は「儀なし」というが、『水無瀬三吟』八句目の
鳴く虫の心ともなく草枯れて
垣根をとへばあらはなる道 肖柏
や『湯山三吟』の十二句目、
故郷も残らずきゆる雪を見て
世にこそ道はあらまほしけれ 宗祇
にも通じるものがある。やはり応仁の乱に象徴されるようなこの国の道の衰退を暗に風刺しているようにも思える。
八句目
霜迷ふ道は幽に顕れて
枯るるもしるき草むらの陰 宗祇
宗牧注
かすかにあらはれて枯る中に、何の草といふ事を知たると也。
周桂注
あらはれてといふにつきて、霜にかれたる草も、なにの草ぞとしられたる心也。
道が現れればその脇の草むらもそれとわかるようになる。
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