相撲はかつて宮廷から庶民に至るまで親しまれた遊びだった。別に女が相撲を取って悪いということもなかったし、江戸後期には女相撲の興行も行われた。
明治に入って西洋的な価値観によって伝統文化が弾圧される時代に入ると、その影響は当然ながら相撲にも及んだ。まずちょん髷はいかがなものかということになるし、また西洋的な価値観から裸もけしからんとの批判に晒されることになった。
ただ、これだけ国民的な人気を誇る相撲を、さすがに根絶やしにする事はなかった。ただ、女性が男の裸を見るのはいかがなものかということで、女性の観戦が禁止されたらしい。まるで古代オリンピックか、今でも残るイスラム圏のスポーツ観戦かという感じだ。
やがて観戦は解禁されたが、それでも土俵には上げないという習慣は残ったのだろう。土俵に女が上がってはいけないというのは、結局の所裸の男がいるところに女が入ってはいけないという風紀の問題だったのだと思う。それを正当化するために後付け理由として「穢れ」というのが持ち出されたか。
まあ、要するに、女が土俵に上がってはいけないというのは、日本の伝統ではないし、別に土俵が神聖なところだったからというわけでもない。西洋のビクトリア時代の極度な性的抑制の習慣が日本にも取り入れられた結果と言えよう。
女性を穢れたものと見なす観念も本来日本の伝統には存在せず、仏教から来た観念で、平安時代に入って神道が仏教の影響を強く受けるようになってからではないかと思う。
穢れは本来伝染病をもたらす未知の病原体をあらわすものだから、ウィルスなどの感染の原因になる血を穢れたものとしたため、出産や生理の血を穢れとする分には一定の根拠があったが、女性そのものを穢れと見なす概念は仏教由来と見たほうがいいだろう。
また、山岳信仰などでの女人禁制には朝鮮半島の文化の影響もあったのかもしれない。
古代でも近代でも、日本人は本音の部分では昔からの日本人らしさを受け継いではいるが、支配者層は外来の思想に弱かった。それは今でも続いている。外圧を恐れて、外国に支配される前に自己植民地化してしまうのが日本人の常だったといってもいいのかもしれない。
ある意味、外国の文化に服従している振りをして、それを隠れ蓑にしながら密かに昔ながらの伝統を守ってきたのが日本人の知恵だったのかもしれない。
さて、あまり風流な話題ではなかったので、最後にお口直しで、
山家興
木兎の耳ふる花の吹雪かな 一露
これは言水編の『新撰都曲』の中の句。今の花吹雪の季節にはふさわしい。ただ、花吹雪を避けるためにミミズクが羽角を振るというのは、ちょっと話を盛っている感じで、そこが大阪談林なのだろう。
木兎の眠り落たる柳哉 琴風
これは不卜編の句合『続の原』の句。ミミズクが柳に留まるのかと思ったが、ネットで検索したら柳の上のミミズクの画像が出てきた。やはりこれは蕉門の句だ。
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